マイナスの矛盾定義
まるで春ちゃんだけがこの世の全てだとでも言うように彼女を追い続けていたぶらりんが、アリスちゃんとなった彼女を他の奴の手に渡そうとしている。
違う、ぶらりん。そうじゃない。


そいつは自分のことしか考えてない。


こいつの目的が何かは定かじゃないけれど、アリスちゃんにとっての幸福を阻害する物であることは確かだ。



「ぶらりん!こいつ、さっき腕が――…ッ、っ…」



その事実を伝えようとしたが、途中でまた腹部を蹴られた。



「お喋りな口だねぇ。ちょっと黙ってなよ…人が人と話そうとしてる時くらいさぁ」



見下ろす男のダークブラウンの瞳がぶらりんのそれよりも冷たく感じる。



僕が痛みでまともに喋れなくなったことが伝わったようで、ヤブ医者はくすりと笑いぶらりんの方へ視線を移した。



「俺はお前が羨ましいよ。それほど純粋な想いを口にできるなんて」


「自分を純粋だと思ったことはありませんが」


「普通の人間はそうなのかなぁ?無条件に自分の欲求を抑え込んで、欲しい相手の幸福を願って、相手が幸せなら自分も幸せって…そんな人間が、この世には溢れかえってるのかなぁ?…俺には理解できない」


「君の言う“普通”の基準は分かりかねます。それより、仲間から離れろという要求を聞き入れてくれないのならこちらとしてもそれ相応の攻撃を加える必要性が出てきま、」


《《---->》》
 ―――ドォォオオオオオオオォッガガッガガガガ
《《---->》》
ガガアォオオオオオオオオオガガガガガ ガガドドオオオオオォォォォォォォォオオオオオガガガ ガガガガガガガドォ、ドォォォオオオオオオ オオオオオオガガガ ガガガガアアアアアアアアアアドォオオオオオオオオ オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ………




《《》》
すさまじい爆発音と風が巻き起こった。


何が起こったのか分からなかった。鼓膜が潰れるかと思った。






その轟音は数秒して止み、先程の音を聞いた後で聞くと随分小さくも聞こえる甘ったるい声が上から聞こえてくる。



「残念、時間が来たみたいだねぇ」
次に耳に入ってきたのはヘリコプターの音だった。



「わざわざ口止めしなくたって、お前らとアリスをこの先二度と関わらせないようにすればいいだけだしぃ。今回ばかりは見逃してあげるよぉ、リバディーのお二人さん」



ヤブ医者はそう言って仕事部屋の方へ入っていった。表情は見なかったが、ニコニコ笑っていたに違いない。



……あんな奴を、僕は初めて見た。身体能力には自信がある。屈強な犯罪者連中が束になって襲いかかってきても、武器無しで倒せる。


でも、あの男はもっと、僕には太刀打ちできないほどの能力がある。単に場数を踏むだけであれだけ俊敏になれるか?僕の攻撃を防げるか?僕に攻撃をいれられるか?


初めていわゆる“才能”を目の当たりにした気がした。


単なる喧嘩ですら勝てない。僕とほんの数歳しか離れていないはずの男なのに。クリミナルズは並大抵の組織じゃない。あんな男の率いる組織が並大抵であるはずがない。


――ぞくぞくする。



「大丈夫ですか?…ここはもう崩れます。避難しましょう」



ぶらりんが倒れている僕を見下ろしてくる。心配してくれてるんだろうか。…随分優しくなったもんだね。



「だい、じょーぶ…死ぬほどじゃないよ……ごめんだけど、運んでくれないかな…?」



擦れた声で頼むと、ぶらりんは僕を支えて起こしながら言った。



「いえ、体ではなく頭が大丈夫かと聞いたのですが」


「…へ?」


「これだけ怪我をしても笑っているので」



そう言われて初めて、自分が楽しんでいることに気がついた。


ここ数年、面白い任務なんてほとんどなかったのだ。


どんな犯罪者だって簡単に殺せるし、簡単に壊せる。


どれだけ恐れられている犯罪者集団だろうと、僕1人で簡単に潰せる。


そんな状況に僕は……退屈していた。




「アリスちゃんは…いつも本当に…面白い“萌え”を運んできてくれるなぁ…」




あんな男がこの世界のどこかで犯罪組織を統率してるのか…。


僕はぶらりんに肩を貸されながら、そんなことを思った。



……この世界は捨てたもんじゃない。
《《<--->》》
-each-
「たあああああああああっ」


「う、わっ!アリスちん、ちょ、加減して!?」



焦ったように言いながらも、陽は私の攻撃を全て防いでいる。…むかつく。


何でこう隙ができないのよ!?反対側に隙ができるようにわざと大きく動いてるのに、一向に攻撃をいれられる気がしない。




「――はい、ストップ!休憩!」


「……っ、」



陽にそう言われ、私は仕方なく動きを止めた。


陽は私が倒れるとシャロンに怒られるんじゃないかとかいう余計な心配をしていて、こまめに休憩を取らせてくる。



「ほら、水筒。あとタオル。汗拭けよん」


「はいはい…」




陽に体術を教えてもらい始めてしばらくが経った。


スパイは正体がバレないようにして当然と思っていたが、リバディーという組織と関わって感じたことは、正体がバレた後でも対処できる能力を身につけるべきということだ。


そうでなくても、捕まりそうになった際攻撃できる程度の身体能力は必要。


シャロンは私が傍を離れることを嫌がったが、一日数時間だけ練習し、それ以外はシャロンと一緒にいることを約束して、何とか了承を得た。



「アリスちんって天才肌だよな。何に関しても飲み込みが早い」


「そうかしら?貴方の教え方がうまいんじゃない?」


「……因みに、今何カ国語喋れんの?」


「ざっと3カ国語かしら。どれも完璧じゃないわ。ジャックにはまだまだ及ばない」


「この短期間で…?やっぱ天才だろ…」


「まぁ、確かに短期間で詰め込むのは得意かもしれないわね。その代わり忘れるのも早いわ」


「何でも吸収するスポンジみてーだな。ッうわ!」


「これもかわしたか…。スポンジって言っても、ちょっと学んだくらいじゃ貴方には一発も攻撃を入れられないみたい」



不意打ちを狙ってみたが、案の定避けられてしまった。
「いきなり攻撃してくんなよなー。やっぱあれじゃね?俺に攻撃いれらんないのはさー、余分な脂肪が多くて動きづらいってのもあるんじゃね?」


「痩せろって言いたいの?」


「いや、だからほら胸にこう…」


「黙りなさい」


「うぃっす」





「陽君、女の子相手にそんな不躾な発言をしたらだめだよ。それにしてもやっぱりアリスは金髪が似合うね。黒髪も可愛かったけど、出会った時の印象が強いからかな?そっちも君らしくて素敵だと思……いって!」


「あら、いたの。あなたの顔を見たら腹が立ってつい足を滑らせてしまったわ」



私の稽古を見物しに来ているジャックに思わず蹴りを入れてしまった。



「ごめんって。ブラッドなら君に何もしないって分かってたから預けたんだよ」


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