マイナスの矛盾定義
シャロンが椅子から立ち上がって私に近付いてくるので思わず身構えてしまったが、ふわっと抱え上げられ、傍にあるソファにうつ伏せになるようにおろされた。
「敬語使ってよ」
「はぁ?何で…痛っ」
背中をつねられると同時にきつく爪をたてられた。地味に痛い。
「敬語」
「…はい」
私の上に跨ってきたシャロンから敬語を強いられた私は、これ以上怒らせてはいけないと思い不服ながらも従った。
普段のような理不尽な怒りならまだ反抗できるのだけれど、嘘を吐いたのだから私が悪い。
それにしてもなんで嘘だってバレて…
「遅れてきたのに一言もナシぃ?」
………あ、そっち?
考えてみれば確かにこんなにすぐバレるはずがない。盗聴器を仕掛けてるわけじゃあるまいし。ラスティ君じゃあるまいし。
幾分かほっとしてから、「…すいませんでした」と内心任務でもないのにそこまで細かく時間を気にする必要もないでしょうと文句を言いながらも謝った。
「やだ。今日はベンキョーさせてあげなぁい」
わざわざ謝ってやったというのにシャロンは私の謝罪なんか気にする様子もなく、服の中に手を入れてきた。
背中をシャロンの指が這い、なんのつもりだと思ったが、
「かぶれてるのってこの辺?」
どうやら薬を塗ってくれるつもりだということはすぐに分かった。
こくりと頷くと、今度は少しばかりべたっとした手が背中を撫でた。薬が冷たくて一瞬びくついてしまったけれど、シャロンは手を止めない。
薬なんて塗らなくても、私の体ならすぐ治るのに。
「怒ってるくせに優しいのね」
「優しい?俺が?…ふぅん、これでも優しいんだ」
「ぅひゃあっ」
いきなり脇をくすぐられたので変な声が出てしまい、シャロンから離れようとしたがうまくいかず。
「泣くまでくすぐってあげよっかぁ」
「ちょ、あはっ、んっ…死、しぬ…っ!」
足をバタバタさせても効かないので、手でシャロンの腕を掴んで力一杯離そうとした時、
「痛、…」
私の力で敵うはずもないシャロンが、顔を歪ませて私から手を離した。
……?痛いって、爪を立てたわけでもないのに。
しーんと妙な沈黙が走り、私を見下ろすシャロンと目が合う。
「…薬塗り終わったし手洗ってくるねぇ」
そう言って私の上から退くシャロンの服を思わず引っ張った。
「なに」
「怪我してるの?」
そういえば変だと思っていた。ラスティ君と戦って傷1つないシャロンが。と言ってもそれは見た目の話で、服で隠れている部分に怪我をしているかどうかは知らない。
「アリスって妙なとこで鋭いからめんどくさいなぁ」
「面倒で結構よ。見せなさい」
諦めたように溜め息を吐くシャロンの手を引っ張り、その袖を捲る。
シャロンの腕には切り傷があった。執拗に切りつけたような傷が。
「大丈夫なの?これこそ薬塗るべきでしょ」
「ほとんど痛みはないから大丈夫だよぉ」
「本当に?でも押したら痛いんでしょ?」
「生命に関わるほどの怪我じゃないしぃ」
「他にどこか怪我したところはあるの?」
「これだけ。あいつからの攻撃はほとんど防げちゃったからなぁ。攻め方に多少の癖があったし」
「でもあのラスティ君相手でしょ?かなり無理はしたんじゃ…」
「もお!アリスは俺のなんなのぉ?心配しすぎぃ」
「心配なんかしてないわよ。あんたの心配する暇があったら自分の枝毛でも心配するわ」
「…よく言うよ」
再び訪れた沈黙。
視線がぶつかる。
外から雨の音が聞こえてきて、シャロンの表情がどこかもの悲しく見えた。
「今日は暗いねぇ」
シャロンの甘ったるい声が耳に心地良く感じる。
薄暗い部屋。
シャロンの匂い。
熱っぽい視線。
シャロンの手
が、シャロンの腕を掴んでいた私の手をもう片方の手でそっと掴む。
一瞬その手に視線を向け次に顔を上げると、すぐ近くにシャロンの顔があった。
女の子みたいな綺麗で整った顔。
可愛い顔してるくせに、今のシャロンはまるで男の人みたい。
その顔が少し傾き、目を閉じてゆっくり近付いてくる。
ど…うするのが正解?え?何する気なの?避けるのもおかしい?何考えてるんだって思われる?意識してるみたいな感じになる?だってこの角度じゃキ……いや、そんなわけない。でもこの近距離、それ以外で何するのよ?
シャロンの唇は私のそれに触れそうになって―――そっと離れていった。
再び視線が交わる。
ずっと動けずにいた私は、それでもやはり動けなくて。
「…今の何?」
「なんだろうねぇ。…ほんと、何してんだか…」
シャロンは自嘲するように笑う。
今の、やっぱキスしようとしてた?だとしたらなんのつもりで?
分からない…シャロンが分からない。
「アリス、」
どうしてそんなに泣きそうな顔をするのか。
「好き…」
どうしてそんなに切なげな声で言うのか。
「…ありがとう?」
なんと言うべきか分からなくて、とりあえずお礼。
キャシーの気持ちが少し分かった気がした。血は繋がっていないものの、シャロンは家族みたいな存在だ。そんな人に女として扱われることには違和感を覚える。
「…シャロン、酔ってる?」
「……ん、少し」
やっぱりか。私が来る前に飲んでたのかしら?
さっきまで普通だったのに、時間差で酔いが回ってきたとか?
なんだ…今のはちょっとびっくりしちゃったじゃない。酔いすぎ。
「少し横になったら?水を持ってきましょうか」
「いいよ」
「遠慮しなくていいのよ?」
「いいよ。…ここにいて」
シャロンはソファから立ち上がった私の手を引っ張り、隣に座らせた。
シャロンを寝かせたら1人で勉強ができる、なんて少し思ったのだが、それはさせてくれないようだ。
「一緒にいられたらそれでいい」
シャロンは私の肩にもたれ掛かり、静かに目を閉じる。
外から聞こえてくる雨音だけが暖かな室内に響いた。
シャロンとラスティ君はたまにどこか似ていると思う。私の気のせいかもしれないけれど、少し儚げなところとか。
…それにしても、何で腕だけあれほどしつこく切りつけられたんだろう。
相手を傷付けたいなら普通色んな箇所を切りつけない?どんな状況だったのかしら。
まぁ、ラスティ君の考えることは私には分からないし…シャロンに大きな怪我はなかったのだから、それでよしとしておこう。
私は薄暗い部屋の天井を見ながら、くあっとあくびを1つした。
――某日、リバディー本拠地1階。
『リバディー本部襲撃事件から一週間が経ちましたが、今後の予定は公表されていません。本部は新しく立て直すものと思われ、多くの人々が関心を寄せています。今回の事件には、いずれの国も明確な拠点としない犯罪者集団・クリミナルズが関与しているものとみられます』
「敬語使ってよ」
「はぁ?何で…痛っ」
背中をつねられると同時にきつく爪をたてられた。地味に痛い。
「敬語」
「…はい」
私の上に跨ってきたシャロンから敬語を強いられた私は、これ以上怒らせてはいけないと思い不服ながらも従った。
普段のような理不尽な怒りならまだ反抗できるのだけれど、嘘を吐いたのだから私が悪い。
それにしてもなんで嘘だってバレて…
「遅れてきたのに一言もナシぃ?」
………あ、そっち?
考えてみれば確かにこんなにすぐバレるはずがない。盗聴器を仕掛けてるわけじゃあるまいし。ラスティ君じゃあるまいし。
幾分かほっとしてから、「…すいませんでした」と内心任務でもないのにそこまで細かく時間を気にする必要もないでしょうと文句を言いながらも謝った。
「やだ。今日はベンキョーさせてあげなぁい」
わざわざ謝ってやったというのにシャロンは私の謝罪なんか気にする様子もなく、服の中に手を入れてきた。
背中をシャロンの指が這い、なんのつもりだと思ったが、
「かぶれてるのってこの辺?」
どうやら薬を塗ってくれるつもりだということはすぐに分かった。
こくりと頷くと、今度は少しばかりべたっとした手が背中を撫でた。薬が冷たくて一瞬びくついてしまったけれど、シャロンは手を止めない。
薬なんて塗らなくても、私の体ならすぐ治るのに。
「怒ってるくせに優しいのね」
「優しい?俺が?…ふぅん、これでも優しいんだ」
「ぅひゃあっ」
いきなり脇をくすぐられたので変な声が出てしまい、シャロンから離れようとしたがうまくいかず。
「泣くまでくすぐってあげよっかぁ」
「ちょ、あはっ、んっ…死、しぬ…っ!」
足をバタバタさせても効かないので、手でシャロンの腕を掴んで力一杯離そうとした時、
「痛、…」
私の力で敵うはずもないシャロンが、顔を歪ませて私から手を離した。
……?痛いって、爪を立てたわけでもないのに。
しーんと妙な沈黙が走り、私を見下ろすシャロンと目が合う。
「…薬塗り終わったし手洗ってくるねぇ」
そう言って私の上から退くシャロンの服を思わず引っ張った。
「なに」
「怪我してるの?」
そういえば変だと思っていた。ラスティ君と戦って傷1つないシャロンが。と言ってもそれは見た目の話で、服で隠れている部分に怪我をしているかどうかは知らない。
「アリスって妙なとこで鋭いからめんどくさいなぁ」
「面倒で結構よ。見せなさい」
諦めたように溜め息を吐くシャロンの手を引っ張り、その袖を捲る。
シャロンの腕には切り傷があった。執拗に切りつけたような傷が。
「大丈夫なの?これこそ薬塗るべきでしょ」
「ほとんど痛みはないから大丈夫だよぉ」
「本当に?でも押したら痛いんでしょ?」
「生命に関わるほどの怪我じゃないしぃ」
「他にどこか怪我したところはあるの?」
「これだけ。あいつからの攻撃はほとんど防げちゃったからなぁ。攻め方に多少の癖があったし」
「でもあのラスティ君相手でしょ?かなり無理はしたんじゃ…」
「もお!アリスは俺のなんなのぉ?心配しすぎぃ」
「心配なんかしてないわよ。あんたの心配する暇があったら自分の枝毛でも心配するわ」
「…よく言うよ」
再び訪れた沈黙。
視線がぶつかる。
外から雨の音が聞こえてきて、シャロンの表情がどこかもの悲しく見えた。
「今日は暗いねぇ」
シャロンの甘ったるい声が耳に心地良く感じる。
薄暗い部屋。
シャロンの匂い。
熱っぽい視線。
シャロンの手
が、シャロンの腕を掴んでいた私の手をもう片方の手でそっと掴む。
一瞬その手に視線を向け次に顔を上げると、すぐ近くにシャロンの顔があった。
女の子みたいな綺麗で整った顔。
可愛い顔してるくせに、今のシャロンはまるで男の人みたい。
その顔が少し傾き、目を閉じてゆっくり近付いてくる。
ど…うするのが正解?え?何する気なの?避けるのもおかしい?何考えてるんだって思われる?意識してるみたいな感じになる?だってこの角度じゃキ……いや、そんなわけない。でもこの近距離、それ以外で何するのよ?
シャロンの唇は私のそれに触れそうになって―――そっと離れていった。
再び視線が交わる。
ずっと動けずにいた私は、それでもやはり動けなくて。
「…今の何?」
「なんだろうねぇ。…ほんと、何してんだか…」
シャロンは自嘲するように笑う。
今の、やっぱキスしようとしてた?だとしたらなんのつもりで?
分からない…シャロンが分からない。
「アリス、」
どうしてそんなに泣きそうな顔をするのか。
「好き…」
どうしてそんなに切なげな声で言うのか。
「…ありがとう?」
なんと言うべきか分からなくて、とりあえずお礼。
キャシーの気持ちが少し分かった気がした。血は繋がっていないものの、シャロンは家族みたいな存在だ。そんな人に女として扱われることには違和感を覚える。
「…シャロン、酔ってる?」
「……ん、少し」
やっぱりか。私が来る前に飲んでたのかしら?
さっきまで普通だったのに、時間差で酔いが回ってきたとか?
なんだ…今のはちょっとびっくりしちゃったじゃない。酔いすぎ。
「少し横になったら?水を持ってきましょうか」
「いいよ」
「遠慮しなくていいのよ?」
「いいよ。…ここにいて」
シャロンはソファから立ち上がった私の手を引っ張り、隣に座らせた。
シャロンを寝かせたら1人で勉強ができる、なんて少し思ったのだが、それはさせてくれないようだ。
「一緒にいられたらそれでいい」
シャロンは私の肩にもたれ掛かり、静かに目を閉じる。
外から聞こえてくる雨音だけが暖かな室内に響いた。
シャロンとラスティ君はたまにどこか似ていると思う。私の気のせいかもしれないけれど、少し儚げなところとか。
…それにしても、何で腕だけあれほどしつこく切りつけられたんだろう。
相手を傷付けたいなら普通色んな箇所を切りつけない?どんな状況だったのかしら。
まぁ、ラスティ君の考えることは私には分からないし…シャロンに大きな怪我はなかったのだから、それでよしとしておこう。
私は薄暗い部屋の天井を見ながら、くあっとあくびを1つした。
――某日、リバディー本拠地1階。
『リバディー本部襲撃事件から一週間が経ちましたが、今後の予定は公表されていません。本部は新しく立て直すものと思われ、多くの人々が関心を寄せています。今回の事件には、いずれの国も明確な拠点としない犯罪者集団・クリミナルズが関与しているものとみられます』