マイナスの矛盾定義



結局アランは見つからず、私たちは何の収穫もなく部屋に戻ることになった。





「残念でしたわね」


「まぁ、ただでさえ広い船だし、見つからない方が自然よね…」



とはいえ正直少し落ち込んでいる。


絶対に見つけようと思い張り切っていたのに、全然見つからなかったのだから。



そんな私の心情を察してか、キャシーは私の背中をポンと優しく叩いた。



「同じ船なんですもの、きっと見つかりますわ。また間を置いて探しに行きましょう。私ちょっとお花を摘みに行ってきますので、先に戻っていてくださいな」



そう言ってトイレの方へ小走りしていくキャシー。


…我慢してくれてたのかしら。





間を置いて…か。確かにそうね。


もうすぐ夕食の時間だし、アランの行きそうな店を回ってみようかしら。


陽のことも気になるし、それまでは部屋にいよう。
シャロンの部屋のドアをいつも通り4回ノックしようとして、





「あぁ、如月か。久しぶりだねぇ」



中から聞こえてきたその単語に、思わず手を止めた。



「ごめんねぇ?アリスはこっちで奪還しちゃった。怒らないでよぉ。アリスがどうしても必要になった時はお前と会わせてやることくらいは考えてやるからさぁ」



誰かと話してる…?でも、相手の声はしない。


陽じゃ…なさそうよね。


電話…?


それに、“如月”って……。



「アリスの目的はお前らの研究を中止に追い込むことだよ?守ってやってんだから感謝してよね。俺、隠蔽するのは得意だしぃ」



くらっとした。


――何話してるの。


誰と話してるの。




「あーそおそお、腕の件だけどぉ、以前火傷した時はすぐ治ったよ。薬がきれてから試しにナイフで切ったらやっぱり治らなかったけど。お前のつくった薬の効果はちゃんとあるみたい」



腕を切った……?


…そういえば、シャロンの腕に切り傷があったことがあった。



「だーかーらぁ、時期が来たら会わせてやってもいいかなって思ってるって。お前との協力関係を断つつもりはないよ」



協力、関係…?





「俺の目的は―――…         …なんだから」





頭が真っ白になった。
「アリス?どうしたんですの?」


「…っ」



遅れてやってきたキャシーの声に過剰に反応してしまい、思わず倒れそうになってドアにぶつかった。


どん、と大きな音がする。



中から聞こえていた声が止んだ。



キャシーは不思議そうな表情をする。


「そんなに驚かなくてもいいじゃありませんか」


「や、違…」


「…本当にどうしましたの?顔色が良くありませんけれど」



キャシーが怪訝そうに私に触れようとした時―――部屋のドアが、開く。



シャロンが私を見下ろしていた。



「…いつからいたのぉ?」



何でもないような声で聞いてくるシャロンの眼が怖い。


部屋の中の陽も驚いたような表情で私を見ている。


シャロンの手には携帯電話。




「…ど、どういうこと……」


「ん?何が?」


「い、今、」


「今?」


「電話…してた……」



冷静に状況を把握しなければと思うのに、声が小さくなってしまう。



「あれ、聞こえてたぁ?この船の部屋って意外と防音対策ちゃんとしてないんだねぇ。盗み聞きされ放題じゃん」


「ち、違、たまたま聞こえて…、」
「うん。それで?」


「え…?」


「それで、どう思った?」



シャロンは甘やかすように優しい声で問い掛けてくる。




「…………うそつき…」



ぽつりと吐き出してしまった言葉の重みを、吐き出した後で感じた。


私は恩人を初めて本気で咎めたのだ。



「嘘くらい吐くよぉ。俺だって欲にまみれた人間だもん」



嘘…どれが嘘?


ひょっとしたら、シャロンは嘘なんて吐いていなかったのかもしれない。


私が勝手に期待して、シャロンは私に協力してくれると、私が目的を果たそうとすることを応援してくれていると、勝手に思い込みすぎていたのかもしれない。



「…どうして、」


「俺はアリスとずっと一緒にいたいだけだよ」


「…なんで…?何でそれがずっと一緒にいることになるの?元に戻ったら、組織を出るって言ったから?」



組織を抜けたって、シャロンと全く会わなくなるってわけじゃないのに。



「それもあるけど、それだけじゃ足りないんだよね」


「え…?」



わけが分からない。


頭が働かない。




「アリスには分かんないよ。理解できないと思うなぁ、俺の感情なんて」


「……っ」




「アリスちん!」


私を呼び止めようとする陽を無視して、気付けば走り出していた。



「アリス!どこ行きますの!?1人じゃ危ないですわ!」



キャシーが私を引き止めようとしてくれたが、その手も振り払ってしまった。





とにかく離れたかった。


1人になりたかった。



そうよ、分からないわよ。あなたの感情も、あなたのことも。


あなたが何を考えて、何を感じて、何のために生きているのか。


元々分かっていなかったものが……もっと分からなくなってしまった。
―――
――――――



船のデッキで、風を感じながら遠くをずっと眺めていた。



こつり、と靴音がした。



誰かがこちらに来ている。




不思議と誰だか分かっていた。





「…久しぶりね」


「久しいが故の錯覚でしょうか、また一段と可愛くなったように見えます。こんなところに天使が舞い降りたのかと思いました」


「…私のこと、諦めたんじゃなかったわけ?」


「諦めなければ困りますか」


「困るわ。あなた厄介だもの」


「困ったことに、俺は困っている君の表情もなかなか好きなんです」


「あなたのお兄さんも同じようなことを言っていたわ」


「少し見ない間に恋敵がまた増えたようですね」


「…あなたなんなの?私のこと好きなのか嫌いなのかどっちかにしなさいよ」


「嫌いだと、一度でもそう言いましたか?」


「好き“でした”ってそういうことじゃないの?人のことを利用ばかりしている私なんか嫌いになったんでしょう」


「それは誤解です。君に利用されたからといって君を嫌いになることはありません。ただ、俺は自分が君にとって有害でしかないと思ったから…」


「そうね。その通りよ。…もう誰も彼も有害なんだわ。誰を信じて良いのか私には分からない」
「だから泣いているんですか」


「……」


「……幸せにしろと言ったのに」


「…え?」


「彼が幸せにしないなら、俺が幸せにします」



彼って誰よ、と聞こうとした時、すっとその顔が近付いてきて、瞼に口づけをされた。



「俺は君にとって害かもしれませんが…君を1人で泣かせはしません」



いつもなら呆れ顔を返しているところだが、今そんな元気はない。



「攫っていいですか」



黙っていると、両頬に手を添えられた。



「いいのなら顔を上げてください」


「…よくないわ」


「そんなに俺に攫ってほしそうな顔してるのに?」


「は、はぁ!?」



思わずブラッドさんを見上げると、ブラッドさんは困ったように目を逸らした。



「…何よ」


「可愛すぎて直視できません……」


「は、はあ?」


「弱っている君を見ると、どうしていいか分からなくなる。…こんな調子じゃ駄目ですね」



ブラッドさんは緊張しているような表情で頬を染めている。



「また症状が酷くなってるわね…」


「そうですね、恋の病とはよく言ったものです。…抱き締めたいのに、抱き締めるタイミングが分からない…」



深刻な悩みを相談するかのような声音でぽつりと呟くブラッドさん。


前までは遠慮無く色々してきたくせに、今更何恥ずかしがってるのよ。
「……今」


「え?」


「するなら今よ。慰めて。あなたに抱き締められるの――好きなの」




こんなの、ただ安心感を得たいだけだ。


落ち着かせてほしいだけだ。



でもその相手にあなたを選んだのは、たまたまここに来たからってわけじゃない。





―――利用されたからといってあなたは、私を嫌いになることはないんでしょう?
「あいつの腕、かなりの火傷を負ったはずなのに、再生したんだ。一瞬のうちにね。常人の再生能力じゃないよ」



ホテルの一室。男は同僚の男からの話を聞き、耳を疑った。



「つまり、そいつも不老不死だってことか?」


「んー、それは僕も思ったんだけど、そう簡単に不老不死を生み出せるならわざわざ彼女1人を必死こいて追い掛ける必要ないでしょ」



確かにそうだと男は思った。それにあの研究員の女は、あの薬が効いた個体は彼女しか存在しないと言っていたのだ。



「僕のつけた他の箇所の傷は治ってなかった。多分腕だけだ。それも一時的な再生能力かもしれない。憶測だけど、自分の体の一部を使って研究に加担してるんじゃないかな。…まぁ、傷って言っても僕があいつにつけられたのは掠り傷だから、ある程度大きな怪我じゃないとすぐには再生しないだけで本当に不老不死ってことも考えられるけどね」




特殊な再生能力を持つ男の目的に関して、キャラメルブロンド色の髪をした男には見当がついていた。





あの男はただ―――彼女と“永遠に”共にいたいだけなのだ。



そのために、彼女に目的を果たさせるわけにはいかなかった。

彼女の目的を阻害しなければならなかった。

同時に、自分の目的を達成しなければならなかった。
また、別の場面。


ある男はあるホテルにいる男と通話していた。


かかってきた電話に出ると、一番にこう言われた。



『余計な動きしないでくれるぅ?』



男は吸っていた煙草の火を消し、からかうような調子で聞き返す。



「なんのことかな?」


『探ってるよねぇ?こっちのこと』


「隠し事の多い君のことが知りたくてね」



男はおかしくてならなかった。若くして犯罪組織のリーダーを務める電話相手の、1人の少女のこととなると冷静さを欠く様が。



『知りたいなら個人的に調べればいい。あの子に余計なこと吹き込まないでくれるぅ?』


「あぁ、彼女言っちゃったのか。本当に君を信用してるんだね。少しは疑ってくれるような言い回ししたのにな」



電話相手が嫌そうな表情をしているであろうことは分かっている。


しかし、男は構わず続けた。



「本当は知ってるんだろ?あの子が元に戻る方法」


『…お前に教えるつもりはないよ。もちろん本人にもねぇ』



鎌をかけただけだったんだが、と密かに男は笑う。


まだまだ若いな。



「君は、何を考えてる?」


『なんでお前に教えなきゃいけない?』


「俺が思うに、君の思考は複雑そうでいて単純だ。大きな子供だよ、君は。きっとね」



数秒の沈黙の後、電話は切られた。


自分からかけてきておいて何も言わず切るとは。



男は自分のぬいぐるみを必死に離さない幼児を連想し、苦笑した。








 ■



“クリミナルズ”

その犯罪組織のリーダーは、
まだ若い1人の男





実験体であった少女に隠されていることは――…
―――彼の目的が“不老不死になること”だということ







 『Ⅲ』へ続く




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