マイナスの矛盾定義
質問の意図が分からず聞き返すと、如月は微笑んだ。
「研究には犠牲が必要なの……。マーメイドプランのための実験体は上の人達が調達してくれるらしいけど…私も個人で研究がしたいから……処分する予定の人間がいたら、私にくれない……?」
「…お前さぁ、そういうこと言ってるから妙な噂が立つんじゃないの?」
「…こんなこと言ったのは初めてなんだけど……」
「あーそう。残念ながら俺からしてやれることは何もないよ」
組織のリーダーである俺が組織内の誰かを差し出すのは大問題だ。
やるなら個人間の取り引きでどうにかしてほしい。
すると、如月は眉を寄せた。
「私は本気で言ってるの…」
心なしか声がいつもより低い。
「俺も本気で断ってんだけどぉ?」
「…ふん……前の組織にいた時は、たくさんの仲間を犠牲にしてきたくせに……」
ぼそりと言う如月は、俺の神経を逆撫でする。
「せめて1人くらいいいじゃない…」
如月は注射器を再び少女に近付けた。
「あぁ、あるいは………この子を私にくれてもいいよ……?」
俺は立ち上がり、ゆっくり動く如月の手を止めた。
なんというかこの女は―――
「出て行け」
―――手に余る。
「………え?」
心底驚いたように俺を見上げる如月は、俺の言葉が信じられない様子だった。
「今すぐ荷物纏めて出て行って?」
優しく笑いかけてやったが、如月の顔は強張る。
「マーメイドプランの研究所で働けるんでしょ?金には困らないじゃん」
「……お金云々以前に、私が所属してるのは……」
「俺にとっては、お前が“いらないメンバー”だよぉ?」
「………そんな、」
「お前の趣味にどうこう言うつもりないけどぉ、よく考えずに行動しちゃうところは目に余るよ」
「…………」
動かない如月の手を離し、最後の一言を投げかけた。
「――――出て行かないようなら今ここで殺すけど、いい?」
次の日の朝、メンバーの少年が俺の部屋に遊びに来た。
朝にやっているヒーローものの番組を俺の部屋のテレビで観たいらしい。
「自分の部屋で観なよぉ」
「やーだ!シャロンさんのとこのテレビの方がおっきいんだもん!」
この少年の名はれん。
もうすぐ10歳の、スラム街にいた子供だ。
れんはソファの方を見て、初めて見るであろう少女に不思議そうな顔をした。
「この人って噂の不死身さん?」
「まーそうだねぇ」
「寝てるの?」
「うん」
「ぼく不死身さんとお話したいなー。どんな風に話すの?」
「さぁ…?まだ一度も起きてないからねぇ」
「えーっ不死身なのに?」
残念そうに俺を見上げてくるれんは、ハッとしたようにテレビの前に座った。
もうすぐ番組が始まるのだろう。
「あ、そうだ。シャロンさんって昔はクリミナルズとは別の凶悪な犯罪組織にいたってほんと?大量殺人とか拷問とかしてたの?」
「…誰に聞いたのぉ?」
「如月が出て行く前に色々教えてくれたよ!シャロンさんが過去に何人殺しただとか、どんな犯罪を犯して生き延びたかとか」
子供に何話してんの、あいつ。
俺が過去のことを知られるのを嫌うことは、如月だって知っているはずだ。
ちょっとした仕返しのつもりだろうか。
…こんな子供に教えやがって…。
「そんな話聞いても、俺のとこ来るんだねぇ」
「え?なんで?」
「怖がって来ないでしょ、普通」
「ぼくのいた地域でも怖い人はいっぱいいたよ?」
…そうだ。れんの出身は治安の悪い場所だった。
だからだろうか、俺の犯罪歴について何も思うところがないらしい。
「…その話、他の誰かにしたぁ?」
「陽さんにしたよ!」
子供ってのは噂好きだから困る。黙ってられないのか。
陽とは俺がこの組織に入りたての頃からの仲だから、元々知ってるしまだいいんだけど…他は困るなぁ。
「その話内緒にしててくれなぁい?」
「えーなんで?」
「なんでもだよぉ」
「はーい」
口ではハイと言っているが、大抵の子供の口は軽い。
何かの拍子にポロッと言ってしまうことも、秘密を教えたさに広めてしまうこともあるだろう。
他人の知らない情報を教えることで自分が他者よりも優位だと感じたいのかねぇ、そういう奴って。
番組が始まり、れんはしばらく黙ってテレビを観ていたが、CMに入るとまた話し掛けてきた。
「シャロンさんはさ、フツーの生活したいって思ったことないの?」
「普通の生活?」
「うん。犯罪組織とかじゃなくてさ、一般的な組織で働いて社会貢献してお金つくって友達つくって恋人つくって結婚ーとか」
「そういう普通はもう無理だと思うなぁ。…できたとしても、俺はしたくないねぇ。肌に合わない」
1人でいる時、不意に殺意を覚えることがある。
過去に憎んだ相手を暴行するという空想が広がる。
最高に気持ち良い。
死ねばいいのにって思うのに、そのまま殺してしまおうとしても、結局は暴行するだけで意識が戻ってくる。
自分の手が止まっていることに気付く。
暴行する相手が過去の自分である時もある。
そんな空想が日々何度も繰り返される。
眠っている時ですら、他者に対する殺意と悪意が生まれてくる。
このまま生きていたら、俺はまた昔のようなことを繰り返してしまうんじゃないかとも思う。
過去の仲間を殺したのは亡命するためじゃない。
あそこまで大勢を殺さずとも逃げることはできただろう。
ただ“衝動”がそうさせた。
ひとたび仲間を殺した途端、たがが外れたのだ。
仲間を殺していいものと見なした途端、俺は衝動的な殺しを繰り返した。
普通になるにはもう遅すぎる。
元々普通じゃなかったのだから。
それに、馬鹿みたいにひたすら幸せそうな奴らを見ると憎たらしくなる性分だ。
俺にはこの場所が合ってる。
「ふーん。そっか」
自分から聞いておいて、れんは興味なさげにテレビの画面を見つめていた。
変わり映えのない日々が続いた。
如月がいなくなったことで、興味本位で不老不死の少女を見に来る人間もいなくなった。
陽がたまに様子を見に来るが、こいつは興味本位じゃなく心配なんだろう。
とにかく、その日は何ら面白くもないいつも通りの日だった。
働く気が全く起きず、新しい服でも買いに行こうかと思っていた時だった。
―――人の動く気配がした。
俺は反射的に駆け寄って、ソファを覗き込んだ。
―――少女の目が開いている。
正直警戒した。
一体どんな人間なのか分からない。
こちらを攻撃してくるかもしれない。
もしかしたら研究の一環として従順になるよう施されていて、自分から研究所へ戻ろうとするかもしれない。
彼女がどう出るか黙って見ていたが、警戒する猫のような目で見上げられた時、大丈夫だと思った。
「研究には犠牲が必要なの……。マーメイドプランのための実験体は上の人達が調達してくれるらしいけど…私も個人で研究がしたいから……処分する予定の人間がいたら、私にくれない……?」
「…お前さぁ、そういうこと言ってるから妙な噂が立つんじゃないの?」
「…こんなこと言ったのは初めてなんだけど……」
「あーそう。残念ながら俺からしてやれることは何もないよ」
組織のリーダーである俺が組織内の誰かを差し出すのは大問題だ。
やるなら個人間の取り引きでどうにかしてほしい。
すると、如月は眉を寄せた。
「私は本気で言ってるの…」
心なしか声がいつもより低い。
「俺も本気で断ってんだけどぉ?」
「…ふん……前の組織にいた時は、たくさんの仲間を犠牲にしてきたくせに……」
ぼそりと言う如月は、俺の神経を逆撫でする。
「せめて1人くらいいいじゃない…」
如月は注射器を再び少女に近付けた。
「あぁ、あるいは………この子を私にくれてもいいよ……?」
俺は立ち上がり、ゆっくり動く如月の手を止めた。
なんというかこの女は―――
「出て行け」
―――手に余る。
「………え?」
心底驚いたように俺を見上げる如月は、俺の言葉が信じられない様子だった。
「今すぐ荷物纏めて出て行って?」
優しく笑いかけてやったが、如月の顔は強張る。
「マーメイドプランの研究所で働けるんでしょ?金には困らないじゃん」
「……お金云々以前に、私が所属してるのは……」
「俺にとっては、お前が“いらないメンバー”だよぉ?」
「………そんな、」
「お前の趣味にどうこう言うつもりないけどぉ、よく考えずに行動しちゃうところは目に余るよ」
「…………」
動かない如月の手を離し、最後の一言を投げかけた。
「――――出て行かないようなら今ここで殺すけど、いい?」
次の日の朝、メンバーの少年が俺の部屋に遊びに来た。
朝にやっているヒーローものの番組を俺の部屋のテレビで観たいらしい。
「自分の部屋で観なよぉ」
「やーだ!シャロンさんのとこのテレビの方がおっきいんだもん!」
この少年の名はれん。
もうすぐ10歳の、スラム街にいた子供だ。
れんはソファの方を見て、初めて見るであろう少女に不思議そうな顔をした。
「この人って噂の不死身さん?」
「まーそうだねぇ」
「寝てるの?」
「うん」
「ぼく不死身さんとお話したいなー。どんな風に話すの?」
「さぁ…?まだ一度も起きてないからねぇ」
「えーっ不死身なのに?」
残念そうに俺を見上げてくるれんは、ハッとしたようにテレビの前に座った。
もうすぐ番組が始まるのだろう。
「あ、そうだ。シャロンさんって昔はクリミナルズとは別の凶悪な犯罪組織にいたってほんと?大量殺人とか拷問とかしてたの?」
「…誰に聞いたのぉ?」
「如月が出て行く前に色々教えてくれたよ!シャロンさんが過去に何人殺しただとか、どんな犯罪を犯して生き延びたかとか」
子供に何話してんの、あいつ。
俺が過去のことを知られるのを嫌うことは、如月だって知っているはずだ。
ちょっとした仕返しのつもりだろうか。
…こんな子供に教えやがって…。
「そんな話聞いても、俺のとこ来るんだねぇ」
「え?なんで?」
「怖がって来ないでしょ、普通」
「ぼくのいた地域でも怖い人はいっぱいいたよ?」
…そうだ。れんの出身は治安の悪い場所だった。
だからだろうか、俺の犯罪歴について何も思うところがないらしい。
「…その話、他の誰かにしたぁ?」
「陽さんにしたよ!」
子供ってのは噂好きだから困る。黙ってられないのか。
陽とは俺がこの組織に入りたての頃からの仲だから、元々知ってるしまだいいんだけど…他は困るなぁ。
「その話内緒にしててくれなぁい?」
「えーなんで?」
「なんでもだよぉ」
「はーい」
口ではハイと言っているが、大抵の子供の口は軽い。
何かの拍子にポロッと言ってしまうことも、秘密を教えたさに広めてしまうこともあるだろう。
他人の知らない情報を教えることで自分が他者よりも優位だと感じたいのかねぇ、そういう奴って。
番組が始まり、れんはしばらく黙ってテレビを観ていたが、CMに入るとまた話し掛けてきた。
「シャロンさんはさ、フツーの生活したいって思ったことないの?」
「普通の生活?」
「うん。犯罪組織とかじゃなくてさ、一般的な組織で働いて社会貢献してお金つくって友達つくって恋人つくって結婚ーとか」
「そういう普通はもう無理だと思うなぁ。…できたとしても、俺はしたくないねぇ。肌に合わない」
1人でいる時、不意に殺意を覚えることがある。
過去に憎んだ相手を暴行するという空想が広がる。
最高に気持ち良い。
死ねばいいのにって思うのに、そのまま殺してしまおうとしても、結局は暴行するだけで意識が戻ってくる。
自分の手が止まっていることに気付く。
暴行する相手が過去の自分である時もある。
そんな空想が日々何度も繰り返される。
眠っている時ですら、他者に対する殺意と悪意が生まれてくる。
このまま生きていたら、俺はまた昔のようなことを繰り返してしまうんじゃないかとも思う。
過去の仲間を殺したのは亡命するためじゃない。
あそこまで大勢を殺さずとも逃げることはできただろう。
ただ“衝動”がそうさせた。
ひとたび仲間を殺した途端、たがが外れたのだ。
仲間を殺していいものと見なした途端、俺は衝動的な殺しを繰り返した。
普通になるにはもう遅すぎる。
元々普通じゃなかったのだから。
それに、馬鹿みたいにひたすら幸せそうな奴らを見ると憎たらしくなる性分だ。
俺にはこの場所が合ってる。
「ふーん。そっか」
自分から聞いておいて、れんは興味なさげにテレビの画面を見つめていた。
変わり映えのない日々が続いた。
如月がいなくなったことで、興味本位で不老不死の少女を見に来る人間もいなくなった。
陽がたまに様子を見に来るが、こいつは興味本位じゃなく心配なんだろう。
とにかく、その日は何ら面白くもないいつも通りの日だった。
働く気が全く起きず、新しい服でも買いに行こうかと思っていた時だった。
―――人の動く気配がした。
俺は反射的に駆け寄って、ソファを覗き込んだ。
―――少女の目が開いている。
正直警戒した。
一体どんな人間なのか分からない。
こちらを攻撃してくるかもしれない。
もしかしたら研究の一環として従順になるよう施されていて、自分から研究所へ戻ろうとするかもしれない。
彼女がどう出るか黙って見ていたが、警戒する猫のような目で見上げられた時、大丈夫だと思った。