マイナスの矛盾定義
「…あなたは何…?」



しかし彼女はすぐにその涙を拭って上半身を起こし、深刻な表情で俺を見た。


彼女にとっては誰が敵で誰が味方なのかも分からない状況だ。


それどころか、研究所の外の状況を把握しているのかすら怪しい。



なんと言えばこの子が安心するだろうなんて柄じゃないことを考えて、


「俺は君の味方だよぉ」


できるだけ優しい声で答えてあげた。



だが、彼女は疑いの目を向けてくる。



「味方って何…?誰のこと?私にとって何が私の味方なの……?」



彼女は布団をぎゅっと掴んだ。


また泣きそうな声だった。



俺は彼女の足下の空いたスペースに座る。


彼女の身体がビクリと反応した。…完全に脅えられてるなぁ。



「まず何から知りたい?君の社会的立場?」


「………」


「君のこと、俺の知っている範囲でなら教えるよ。敵か味方の判断は、その後で君がすればいい」



きょとんとした顔で見られたので思わずふふっと笑ってしまい、俺はそれを誤魔化すように彼女の頭を撫でた。







「―――“クリミナルズ”へようこそぉ」




心なしか、彼女の表情から緊張の色が消えた気がした。
それから、俺は何時間もかけて色々なことを彼女に話した。



彼女が指名手配されていること。


興味本位で彼女を拾ったこと。


この組織が何であるかということ。


彼女を研究所に渡すつもりはないこと。


この組織にいればある程度は、少なくとも他の“普通の”組織にいるよりは安全だということ。






俺が話しているうちに、彼女はようやく安堵の表情を見せた。



「国も俺たちの組織は手に負えないみたいで基本的にスルーしてるから、余程のことがない限り警察はここに乗り込んでは来ないよ」


「そう…」



彼女はそう返事をしたきり、質問を飛ばしてこなくなった。


聞きたいことは全て聞いたようだ。


暫く黙っていたが、彼女は何も言ってこない。




「今度は俺が聞いていい?」



俺はソファの背もたれに上半身を預け、彼女に視線を向けた。



「…何?」


「どうしてあんなことしたのぉ?」



ずっと聞きたかったことだ。


この子の目が覚めたら一番に聞いてやろうと思っていたが、随分後になってしまった。



「他人のために死ぬなんて俺には理解できない」



これは俺だけの感覚なんだろうか?


世間一般の人間は、他人のために死ねることが当たり前なんだろうか。
「………………きっと見捨てて逃げたわ。私が撃たれたら死ぬような脆い体であればね。どうせ死なないんだから、私が代わりに撃たれたら両方生きてはいられるじゃない?」


「言ってることは分からなくもないけどさぁ、あいつら君を捕まえようとしてたんだよ?あの場で君が動けなくなることは、捕まっちゃうことを意味してたはずでしょお?」


「…それは何となく分かってたわ。私が逃げたら必ず何らかの追っ手が来るだろうとは思ってたし…最初はあなた達全員が私の追っ手だと思ってたもの。銃撃戦をしていたのは仲間割れかと…」


「それなのにわざわざ出てきて庇ったわけぇ?」


「目の前で人が殺されそうになっていたから。…殺そうとしてたのはあなただけどね」


「殺されそうになってたから助ける?その人間が善人か悪人か、味方か敵かも分からず?損得勘定も考えず?」



――馬鹿馬鹿しい。

ただの偽善だ。

自己満足に浸ってる。



鼻で笑う俺に彼女は少しだけ視線を向けたが、直ぐに逸らしてポツリと言った。



「あの時、必要以上に死を恐れてしまったの」


独白のようなその台詞が、どうしてだか耳にこびり付く。




数秒の静寂の後、彼女はふっと自嘲的に笑った。



「人の死は、必ずその周囲に何らかの影響を及ぼすわ。実際、不老不死が生み出されたのも人の死の影響よ。お父さんはお母さんが死んでから狂っていったもの」



原爆の父ロバート・オッペンハイマーの話を思い出した。


彼は大戦時、戦争による危害が家族に及ぶことを恐れ原子爆弾開発計画を主導したと聞いたことがある。


死への恐怖は、歪んだ方向に人を追い詰めることがあるのだろう。
「そうね、どうして庇ったのかって聞かれたら…目の前で殺されそうになっている人がもし死んだとしてその後に起こるかもしれない悲劇が漠然と怖かったから、かしら」



そこまで言って、彼女は酷く綺麗に冷たく笑うのだ。俺を見ながら。



「マーメイドプランがどんなものか想像できる?毎日殺されるの。意識が戻った途端また殺される。毎日毎日…何の為に生きているのか分からなくなる。そんな残酷な研究を娘を使って行ってしまうほど、人の死は人を狂わせる」



庇護欲、というのだろうか。


妙な、しかしどうしようもない感情が溢れ出てきた。



――“…多分、この子はあんたなんかよりもっと人間らしい人間なんじゃないっすか”


嗚呼、陽の言う通りなのかもしれない。


何かを恐れるというのは、恐れるが故に無駄な行動を取ってしまうのは…人間らしい行いだ。


きっとこの小さな身体は。

目の前にいる女の子は。

普通の人間なんだ。





「私、解毒剤を探して、普通の身体になりたいわ。――その為に、あなたを利用したいと思ってる。もちろん、生きるためにも。私…この組織に身を隠してもいいかしら?」



先程まで脅えた様子だった少女が、いつの間にか強い意志を持って俺を見据えている。


愉快だった。



「……強欲なのは嫌いじゃない」



いいも何も、この子をこの組織で育てたいという気持ちは、先程この子が涙を流した時からずっとあったのだ。
「この組織は君みたいな曰く付きの子ばかりだしぃ、1人増えたところで変わんないよぉ。…ただ、ちょおっと働いてもらうことになるけどねぇ」



この子には何を任せようかと考えていると、「ボス、報告なんすけど…」と扉が無遠慮に開かれた。


俺の部屋にノックもせず入ってくるような奴は1人しかいない。


鍵閉めときゃ良かった。



部屋に入ってきた男――陽は俺を見て、その後その隣にいる少女を見て、「えっっ」と面白い顔をした。



「えええええ起きたんすか!?」


「ついさっきねぇ」


「今どういう状況すか!?」


「お話してたのぉ」


「あーあー何やってんすか!久しぶりに起きたんだから喉乾いてるに決まってんでしょーが!何か出してやったらどうです!?」



陽は俺に文句を言いながら、勝手に俺の部屋の冷蔵庫を開けて彼女に冷たい水を渡す。


こうポンポン飲料水が出てくるところが日本らしい。



彼女はその水を受け取ってぺこりと軽く頭を下げた。


「…この人は?」


「仲間だよぉ」


俺を見て聞いてきたので、分かりやすく答えてあげた。



そして、彼女をまじまじと見る陽に対して命令する。


「なぁ、この子に武器の使い方教えてやってくんなぁい?」


「は?……この子にっすか?」


「今日からクリミナルズの一員だからね。ねぇ、春?」



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