マイナスの矛盾定義
『………分かりました。あんたが帰ってくるまで、クリミナルズで何かあれば俺が対処します。すぐ帰ってきてくださいよ』
「あんがとねぇ」
『次こういうことをする時は前もって言ってください。こっちにも準備ってもんがあるんです、準備ってもんが』
文句を言いながらも俺の我が儘に付いてきてくれるところが陽の好きなところだ。
俺は通話を切ってアリスに硬貨を渡し、地下鉄で中央駅まで向かった。
モダンな建物が林立している。
朝食と休憩を取るためイートイン可能なベーカリーに入り、税金の高いこの国にしては安い朝食を済ませた。
「アリス、どっか行きたい場所ある?」
「ないわよ…この国には来たことないし、何があるのか知らないわ。あなたはよく来るの?」
「実は今日初めて来たんだよねぇ」
「じゃあお互い初心者じゃない…」
何でこの国にしたんだ、というような目でじとっと俺を見てくるアリスが可愛くて、思わず撫でてしまった。
「適当に街歩きでもしよっかぁ」
無計画な俺にアリスは少し不安そうな表情をしたが、割とすぐ頷いてくれた。
その後は、本当にぶらぶら歩くだけだった。
路上パフォーマンスを見たり、得体の知れない飲み物を買ってあげたり、この国の物価の高さを実感したり、可愛い雑貨店に寄ってあげたり、水玉のノートを買ってあげたりした。
アリスがお土産を買いたいと言うのでお土産物屋さんにも寄った。
誰かを喜ばせたいという欲求は誰にでもあるものなんじゃないだろうか。
俺みたいな人間にだって多少はあるんだから、人類共通なんじゃないだろうか。
俺にだって、時々妙に人に優しくしたくなる時がある。
優しくして相手が喜ぶと、殺したいようにも思えてくる。
こんな感情誰にも理解されないと分かっている。
でも、アリスに対する感情だけは唯一まともな気がした。
楽しそうにしているアリスを見ても殺したいとは思わなかった。
彼女が怪物のような俺を人間にしてくれる気がした。
港に並んだオモチャのように色彩豊かな家を見つけて、港の見えるテラスで昼食を取った。
「エキゾチックね」
北欧の景色を見るのもいいが、俺がこの時楽しかったのは、コロコロ変わるアリスの表情を見ることだったのだと思う。
「入水自殺したくなるねぇ」
「発想がおかしくないかしら?」
「ほら、水を見てるとさぁ、海に帰りたくならない?」
「私の家は海じゃないわ」
「生物は海から生まれたんだよ」
「私は母親のお腹の中から生まれたわよ」
「ふふ、アリスは可愛いなぁ」
「意味が分からない…」
「いつか一緒に死にたいね」
時間があっと言う間に過ぎていった。
「ねぇアリス。帰ったらさ、ピアスの穴開けさせてよ」
「ピアスをつける機会がないから遠慮しておくわ。耳には元々穴があるんだからそれで十分じゃない」
「俺がアリスに穴開けたいのぉ。俺とお揃いのピアスしよ、ね?」
「……分かったわよ」
今思い返しても、
俺はこの時、人生で一番幸せだった。
《《<--->》》
少なくともこの時までは、
《《<--->》》
俺のアリスに対する感情は正常だったはずなんだ。
数日ぶりに戻ってきた自分の部屋がいつもより明るく見えた。
日本に帰国し、俺はこれまでとは比べものにならないくらい機嫌の良い日々を過ごしていた。
今日はアリスがフィールドワークだとか言ってバズと出掛けているが、特に気にならない。
バズなら安全なルートを通るだろうし、アリスはきっと帰ってきたら真っ先に俺のところへやってきて、何かしら俺のために選んだお土産をくれるに違いない。
「何にやけてるんすか、こっちは大変だってのに」
俺の部屋の窓を拭きながら文句を言う陽。
「部屋の掃除くらい自分でしてくださいよ…。この部屋広くて疲れます」
「やだよ、めんどくさいもぉん」
動き回っている陽に対して、俺は座っているだけだ。あー楽楽。
陽は俺に掃除する気のないことがようやく分かったのか、溜め息を吐いて話を変えてきた。
「どうでした?短い逃亡生活は」
陽には何も話していないから、俺がどこへ行ったのかも知らないし何をしていたのかも知らない。
気になるのも無理はない。
「距離の問題じゃないんだよねぇ」
「はい?」
「どれだけ離れてもこの組織が近くにあるような気がしてさぁ。俺の心にいつもクリミナルズがあるから、世界のどこへ逃げたって意味ないんだろうなって思ったよ」
言ってから陽に目を移すと、陽は失礼なことに吐きそうな顔をしていた。
「どうしたんすかボス…“俺の心に~”とか何らしくないこと言っちゃってんすか…良い子ちゃんのアリスちんに感化されたんすか?録音しましょうか?みんなに聞かせてあげます」
「じゃあ俺はお前が元カノに送ってた恥ずかしいポエムみんなの前で朗読してやるからねぇ?覚えときなよぉ?」
「何で持ってるんすか!やめてくださいよ!」
「俺お前の元カノとメル友だった時期あるから」
「それこそ何でだよ!!!」
陽が彼女できてウキウキワクワクしてたから定期的にその面白い様を報告させてただけの関係だけどねぇ。
あの頃の陽は分かりやすい思春期男子だったなぁ。
また大きな溜め息を吐いて窓にガラス用洗剤をスプレーする陽は、ふと思い出したかのように言う。
「あ、そーだ。如月から連絡来てましたよ」
「…は?あいつ?何で?」
組織を追い出されたことについての不満でも言いにわざわざ連絡してきたんだろうか。
「会いたいそうです。一応向こうが希望してる時刻と場所メモしときましたけど、いります?」
「いらなーい。どうせろくなことじゃないしぃ」
「そう言うと思いました」
陽は俺の返事を予想していたらしく、特に驚くこともなく窓拭きを続ける。
「ったく…俺この後れんと買い物行く約束してるってのに」
ぼそっとまた文句を言って雑巾を洗いに行こうとする陽を止めた。
「それ、俺が行こっかぁ?」
陽はこれこそ驚いたかのように勢いよく振り返って俺を見る。
「……マジで機嫌良いっすね。子供と出かけようとするなんて」
「えー何でぇ?俺子供好きだよ?」
嘘つけ…と言いたそうな目で俺を見てくる陽。
まぁ確かに嘘だけどぉ、今は誰でも好きになれそうな気分なんだよねぇ。
「れんが陽と一緒に行くことを楽しみにしてるなら別だけど」
「いや…俺じゃなくても新しいゲームが買えればそれでいいとは思いますよ」
「ゲームぅ?」
「れん、今日誕生日なんすよ。欲しいゲームがあるそうで」
誕生日ねぇ…プレゼント買ってあげて喜ばれるのも殺意が湧くからやだけど、買うだけでいいならアリスがいない間の良い暇潰しになるかもしれない。
「行ってみたらどうです?子供を好きになるきっかけになるかもしれませんよ」
「あんがとねぇ」
『次こういうことをする時は前もって言ってください。こっちにも準備ってもんがあるんです、準備ってもんが』
文句を言いながらも俺の我が儘に付いてきてくれるところが陽の好きなところだ。
俺は通話を切ってアリスに硬貨を渡し、地下鉄で中央駅まで向かった。
モダンな建物が林立している。
朝食と休憩を取るためイートイン可能なベーカリーに入り、税金の高いこの国にしては安い朝食を済ませた。
「アリス、どっか行きたい場所ある?」
「ないわよ…この国には来たことないし、何があるのか知らないわ。あなたはよく来るの?」
「実は今日初めて来たんだよねぇ」
「じゃあお互い初心者じゃない…」
何でこの国にしたんだ、というような目でじとっと俺を見てくるアリスが可愛くて、思わず撫でてしまった。
「適当に街歩きでもしよっかぁ」
無計画な俺にアリスは少し不安そうな表情をしたが、割とすぐ頷いてくれた。
その後は、本当にぶらぶら歩くだけだった。
路上パフォーマンスを見たり、得体の知れない飲み物を買ってあげたり、この国の物価の高さを実感したり、可愛い雑貨店に寄ってあげたり、水玉のノートを買ってあげたりした。
アリスがお土産を買いたいと言うのでお土産物屋さんにも寄った。
誰かを喜ばせたいという欲求は誰にでもあるものなんじゃないだろうか。
俺みたいな人間にだって多少はあるんだから、人類共通なんじゃないだろうか。
俺にだって、時々妙に人に優しくしたくなる時がある。
優しくして相手が喜ぶと、殺したいようにも思えてくる。
こんな感情誰にも理解されないと分かっている。
でも、アリスに対する感情だけは唯一まともな気がした。
楽しそうにしているアリスを見ても殺したいとは思わなかった。
彼女が怪物のような俺を人間にしてくれる気がした。
港に並んだオモチャのように色彩豊かな家を見つけて、港の見えるテラスで昼食を取った。
「エキゾチックね」
北欧の景色を見るのもいいが、俺がこの時楽しかったのは、コロコロ変わるアリスの表情を見ることだったのだと思う。
「入水自殺したくなるねぇ」
「発想がおかしくないかしら?」
「ほら、水を見てるとさぁ、海に帰りたくならない?」
「私の家は海じゃないわ」
「生物は海から生まれたんだよ」
「私は母親のお腹の中から生まれたわよ」
「ふふ、アリスは可愛いなぁ」
「意味が分からない…」
「いつか一緒に死にたいね」
時間があっと言う間に過ぎていった。
「ねぇアリス。帰ったらさ、ピアスの穴開けさせてよ」
「ピアスをつける機会がないから遠慮しておくわ。耳には元々穴があるんだからそれで十分じゃない」
「俺がアリスに穴開けたいのぉ。俺とお揃いのピアスしよ、ね?」
「……分かったわよ」
今思い返しても、
俺はこの時、人生で一番幸せだった。
《《<--->》》
少なくともこの時までは、
《《<--->》》
俺のアリスに対する感情は正常だったはずなんだ。
数日ぶりに戻ってきた自分の部屋がいつもより明るく見えた。
日本に帰国し、俺はこれまでとは比べものにならないくらい機嫌の良い日々を過ごしていた。
今日はアリスがフィールドワークだとか言ってバズと出掛けているが、特に気にならない。
バズなら安全なルートを通るだろうし、アリスはきっと帰ってきたら真っ先に俺のところへやってきて、何かしら俺のために選んだお土産をくれるに違いない。
「何にやけてるんすか、こっちは大変だってのに」
俺の部屋の窓を拭きながら文句を言う陽。
「部屋の掃除くらい自分でしてくださいよ…。この部屋広くて疲れます」
「やだよ、めんどくさいもぉん」
動き回っている陽に対して、俺は座っているだけだ。あー楽楽。
陽は俺に掃除する気のないことがようやく分かったのか、溜め息を吐いて話を変えてきた。
「どうでした?短い逃亡生活は」
陽には何も話していないから、俺がどこへ行ったのかも知らないし何をしていたのかも知らない。
気になるのも無理はない。
「距離の問題じゃないんだよねぇ」
「はい?」
「どれだけ離れてもこの組織が近くにあるような気がしてさぁ。俺の心にいつもクリミナルズがあるから、世界のどこへ逃げたって意味ないんだろうなって思ったよ」
言ってから陽に目を移すと、陽は失礼なことに吐きそうな顔をしていた。
「どうしたんすかボス…“俺の心に~”とか何らしくないこと言っちゃってんすか…良い子ちゃんのアリスちんに感化されたんすか?録音しましょうか?みんなに聞かせてあげます」
「じゃあ俺はお前が元カノに送ってた恥ずかしいポエムみんなの前で朗読してやるからねぇ?覚えときなよぉ?」
「何で持ってるんすか!やめてくださいよ!」
「俺お前の元カノとメル友だった時期あるから」
「それこそ何でだよ!!!」
陽が彼女できてウキウキワクワクしてたから定期的にその面白い様を報告させてただけの関係だけどねぇ。
あの頃の陽は分かりやすい思春期男子だったなぁ。
また大きな溜め息を吐いて窓にガラス用洗剤をスプレーする陽は、ふと思い出したかのように言う。
「あ、そーだ。如月から連絡来てましたよ」
「…は?あいつ?何で?」
組織を追い出されたことについての不満でも言いにわざわざ連絡してきたんだろうか。
「会いたいそうです。一応向こうが希望してる時刻と場所メモしときましたけど、いります?」
「いらなーい。どうせろくなことじゃないしぃ」
「そう言うと思いました」
陽は俺の返事を予想していたらしく、特に驚くこともなく窓拭きを続ける。
「ったく…俺この後れんと買い物行く約束してるってのに」
ぼそっとまた文句を言って雑巾を洗いに行こうとする陽を止めた。
「それ、俺が行こっかぁ?」
陽はこれこそ驚いたかのように勢いよく振り返って俺を見る。
「……マジで機嫌良いっすね。子供と出かけようとするなんて」
「えー何でぇ?俺子供好きだよ?」
嘘つけ…と言いたそうな目で俺を見てくる陽。
まぁ確かに嘘だけどぉ、今は誰でも好きになれそうな気分なんだよねぇ。
「れんが陽と一緒に行くことを楽しみにしてるなら別だけど」
「いや…俺じゃなくても新しいゲームが買えればそれでいいとは思いますよ」
「ゲームぅ?」
「れん、今日誕生日なんすよ。欲しいゲームがあるそうで」
誕生日ねぇ…プレゼント買ってあげて喜ばれるのも殺意が湧くからやだけど、買うだけでいいならアリスがいない間の良い暇潰しになるかもしれない。
「行ってみたらどうです?子供を好きになるきっかけになるかもしれませんよ」