マイナスの矛盾定義
アランは挑発的で無駄に色っぽい笑みを見せた後、初っぱなから物凄いスピードの球を打ってきた。



「っ、」



私はそれを打ち返す。今の、反応がもう少し遅れたら返せなかったかもしれない。


予想外のスピードのせいで変な方向に打ってしまった気がしたけれど、何とか球は卓球台の上をワンバウンドした。




「……あ?」



アランは私が打ち返せると思わなかったのか、気を抜いていたようで。


寛ぎモードに入ったところに返ってきた球を見て瞠目する。


アランが打ち返す体勢になるより先に、私の球は床へ落ちた。
私はアランに向かって勝ち誇った笑みを浮かべる。


貴方にとってはただの秘書だからって舐めない方がいいわよ。




「わー凄。アランの球打ち返した女の子ってアリスちゃんが初めてだよね?」



私よりも愉しげにニヤニヤしているのはラスティ君で、いちごミルクのパックをゴミ箱に捨てて私の方に得点を足す。




「……ふーん、やるじゃねぇか」


アランもいよいよ真面目な戦闘体勢に入るようで、ラケットを持ち直した。



いくら拳銃の扱いがうまくても リバディーの戦闘要員だったとしても、卓球においては私だって勝てるかもしれない。







――そこからはアランと私の接戦が始まった。


激しい打ち合いが続き、お互いなかなか点数が入らない。



しかし流石の私もずっと動いていると体力が消耗される。


一方のアランは普段から仕事として動いているわけで、体力の差は歴然としていた。




「オイオイどうした、もうギブアップか?」


「……っんなわけないでしょ」



前半は私がリードしていたのに、アランはニヤニヤしながら反撃とばかりに私の点数を凌駕する。
マッチポイント。



あと1点入れられたら私の負け。


卓球に関してなら自信はあったけど、リバディー戦闘要員はそう甘くない。



こいつ、拳銃の扱いが上手いとか以前に運動神経もかなりいい。体力だってあるし。



「ただの秘書にしては強ぇけどここで終わりだな」



何とか堪え続ける私にそう言うと、予想外の方向に球を打ってきたアラン。


――やばい、打ち返せない。




体勢を戻そうと動いたその時。


ソレは起こった。




「………」


「………」



私は“ラケットで”は球を打ち返せなかった。


でも球は卓球台の上をワンバウンドしてアランの方の床に転がり落ちている。



暫しの沈黙。




最初に吹き出したのはアランだった。



「ぶっ…ははははは!おま…っ、それ…ッ必殺技か何かか?」


必殺技のつもりはない。



「アリスちゃんって結構笑いのセンスあるよねぇ。ぽよーんって感じだったよ」


「……っ、くく…やべ、ツボった…」
――そう。


アランからの球は、体勢を戻そうとした私の胸に当たって跳ね返ったのだ。



肩を震わせながら声を押し殺して笑い続けるアラン。何気に笑い上戸なのかもしれない。



ラスティ君までいつも以上に愉しげな笑みを浮かべている。



「ハイ、アリスちゃんの負けー。あ、でもギャグ的な意味では勝ちかな?」


「……」


「その表情萌えるね」


「……うるさいわよ」



ただ負けるだけならまだしも、最後の最後でこんな恥をかいてしまった。



アランはずっと笑っていて、嫌味すら言ってこない。……笑いすぎて何も言えない、って言う方が適してるかもしれないけれど。



そんな笑わなくても…別に好きで胸に当てたわけじゃないんだから。


ああもう、柄にもなく恥ずかしくなってきた。




「アリス」


「え?」



それまで一言も喋らなかったブラッドさんが椅子から立ち上がって此方へ歩いてくる。



「浴衣、はだけてます」



そう言って私の浴衣を直してくれるブラッドさん。
この事態に笑っていないのは唯一彼だけ。


言い方を変えれば、この場でデリカシーがあるのはブラッドさんだけ。



「…ありがとう」


「傷に当たらなくて良かったですね」



ブラッドさんはからかおうとしている様子でもなく、ただ安心したように笑った。


そして、



「よく頑張りました」



と子供を慰めるように髪を撫でてくるものだから、何だか余計に落ち着かない気分になった。


これ天然でやってるのかしら…。




そんな私たちを見て変わらぬ笑顔のまま口を出してくるのはラスティ君。



「ぶらりんアリスちゃんに色目使いすぎじゃないの?このスケコマシ~」



その手にはいちごミルク。


ちょっと待って、さっきそれ捨ててたわよね?…まさかまた新しいの買ったの?




「煩いですよラスティ」


「だってぶらりん、いつもは他人に無関心なのにアリスちゃんだけ構ってるしさ」


「それが何か?」


「べっつにー?僕としては新しい一面が見れて満足だけど」



ラスティ君は毎回言葉の裏に何かを含んでいるような気がする。
一方のアランは未だに大笑いしていて、少し収まってきたかと思えば私を見てまた吹き出す。


どうやら私が視界に入ると笑いが再発してしまうらしい。



そりゃ負けたけど、こんな男の言うことを聞かないといけないなんて…。


まぁどれだけ言っても結果は変わらないんだから仕方ない。




「私、もう部屋に戻るわね」


「こいつのあだ名、風船女で決まりだな。…ぶはっ…」


「泣かされたいのかしら?」


「鳴かす鳴かせないとかいう話はベッドの上でだけにしてくれよ」



くだらない冗談を言うアランを無視してエレベーターへ向かう。



「アリスが戻るなら俺も戻ります」


「じゃあ僕も~」



後ろをブラッドさんとラスティ君が付いてくる。



…何だかこの3人の私に対しての扱いが馴れ馴れしくなったように感じるのは気のせいかしら?


そんな疑問を抱きつつも、まぁ気にしないでおく。



たとえどれだけ親しくなったとしても、私はスパイで、この3人は敵組織の一員。

そのことに変わりはない。


そのうち私はいなくなる。


――スパイに感情なんて必要ない、か。あながち間違ってもないかもね。
《《<--->》》
-recollection-
体の節々が痛い。今にもギシギシと音を立てそうなくらいに。




「……朝、か…」



―――あれから数週間。


傷の治りが早い私は、撃たれた日に比べてもう大分元気になっていた。



体が痛いのはただの筋肉痛だ。



ここにいる連中…主にアランは怪我人に対する扱いを全く知らないらしく、わざと私に力仕事を任せてくる。



普段は書類の整理が主だったというのに、怪我した途端力仕事を回してくるって…どういう神経をしているんだろうか。



本人曰く「こういう時こそ動いとかねぇと治った時体が鈍る」とのことだけど、私には苦痛を与えて楽しんでいるだけに見える。



悪漢め…と思いつついつも通り秘書用の服に着替えて部屋を出る。



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