マイナスの矛盾定義
朝食の時刻まで時間があるし、先に仕事部屋の方へ行って少し今日の仕事を終わらせておこうと考えたのだ。




……しかし。



「よぉ、秘書」


「………。」



噂をすればなんとやら…というか、思考すればなんとやら?



目の前に立ちはだかって私の通行の邪魔をする気怠げな男、もといアラン。



今日は何故かいつもと服装が違い、黒いジャンバーの代わりにモッズコートを着ている。何処かへ出掛けるのかしら…。
「今日は何?またあの重いダンボール運べだなんて言わないわよね?」


「毛並み逆立てんなよ」


「何故私は猫みたいな扱いされてるのかしら?」


「キャンキャン鳴くなっておもしれぇから。発情期か?」


「………」



こんな男と話すだけ無駄だと思い横を通りすぎようとした――が、あっさりと止められる。



「待てよ。これから暇か?」


「凄く忙しいわ」


「別にベッドに誘ってんじゃねぇ。仕事だ仕事」


「…はぁ?」



アランはヘッドフォンを外し、そのグリーンの瞳を此方に向けた。



「例の団体がようやく雇い主について吐いたからな。ブラッドに居場所を特定してもらった」


「だから何?私には関係ないじゃない」


「これからそこへ行く。お前は俺と一緒に来い」



……ふざけているのか寝惚けているのか、あるいはその両方か。



凝然と立ち尽くす私を見てアランは軽く舌打ちした後、一旦仕事部屋に入り何か入っているであろう袋を持ってきた。
「これに着替えろ。」


「……ちょっと待って、状況が読めない」


「ったくゴチャゴチャうるせぇな…団体の雇い主、俺らと面識のある奴だったんだよ」


「はぁ?それがどうしたのよ」


「詳しいことは車で話す。とにかく着替えろ」


「何で私が――」


「脱がされてぇのか?」


「………」



セクハラ野郎、いつか訴えてやりたい。



袋の中身は薄いミントグリーンのシフォンシャツと黒いショートパンツ、そして派手なハイヒール。


ハイソックスもない…ということは、この格好だとかなり足を出すことになる。



「それと胸元は開けとけよ」


「意味が分からないわ」


「団体の雇い主は女好きだ。お前、色気だけはあんだからそれで騙せ」



常に色気を放出してる男に言われても嫌味にしか聞こえない。
「何でそんなことしなきゃならないのよ」


「ここは女が少ねぇんだよ。ニーナにやらせるわけにもいかないだろ。まだ眠ってるし」


「……眠ってる?まだ?あれから1度も起きてないってこと?」



私が撃たれてから数日…つまりニーナちゃんが人質に取られてからも数日。


気絶させられただけかと思っていたけれど、そこまで起きないなんて。ひょっとしてあのジャズバンドの団体が何かした…?




「まぁ待てよ。その話も車に乗ってからだ。早く着替えろ」




今すぐ問い詰めたい気持ちだけれど、この男がそう簡単に言うはずもない。


何だか餌に釣られて捕まる魚のような気分だ。



でもニーナちゃんのことも詳しく知りたいし…仕方ない、着替えよう。


仕事部屋と私の部屋のドアは廊下を挟んで正面にある為、戻るまで時間はほぼ掛からない。



私はすぐに戻ってさっき着替えたばかりの服を脱ぎ、アランの用意した足の露出が多い服を着る。
――シフォンシャツを着ようとした時、不意にそれがピアスに引っ掛かった。


音を立てて右耳に付いていたそれが床に転がり落ちていく。




これは私がお揃いということでシャロンから貰った物であり、私にとってのファーストピアスでもある。




「……キャッチが緩いのかしら」



もはやピアスと呼んでいいのかもよく分からない通信用のそれ。なくしたら困るのですぐに拾ってもう1度つけた。




あれからシャロンとは連絡を取っていない。


スパイ活動中に向こうから掛かってくることはないにせよ、私から掛けないのは微妙な心境だから。



最後の通信でのシャロンの言葉にムカついた――というか、拗ねているのかもしれない。


連絡しないのは私を束縛しようとするシャロンに対する些細な抵抗であり、子供じみた我が儘。
ああ、今あの男のことなんか考えるべきじゃない。時間の無駄だ。


私は自然と止まっていた手の動きを再開させ、シフォンシャツを着て部屋の外へ出た。


ドアを開けた瞬間目の前にいたのはアランで。




「っ、…ちょっと、ずっと部屋の前で待ってたの?びっくりするじゃない」


「こっちは急いでんだよ」


「何もそこまで…」


「かなり遠い。今から出ても夜まで掛かる場所だ」



主語が入っていないけれど、言わずもがな団体の雇い主の居場所の話だろう。


アランがエレベーターに乗り込み、私はその後を付いていく。



1階のボタンを押した時、ふと初めて乗った時疑問に思ったことを口に出してみた。




「どうして7階と10階のボタンがないの?」



10階があるっていうのは私の勘違いで実は9階建てだったり?


例えそうだとしても6階のボタンの上に8階のボタンがあるのには説明が付かない。




「10階は屋上だ。9階にある階段からしか上れない」


「……ふーん。7階は?」


「7階は特殊な操作でもしねぇと行けねぇよ。3階のボタンを連打するとかな」


「何よそれ、大金でも隠してるの?」



もしそうならスパイ活動を終える前に盗んでおきたいところだわ。まぁ、余計なことはしちゃ駄目だけど。
「いや。7階は――俺たちのトップがいる所だ」




次にアランから出てきたのはそんな台詞。




「……大金じゃなくて残念だわ」


「大金だろうが何だろうが、特殊な操作についてはブラッドとニーナしか知らねぇよ」


「は?ニーナちゃん?どうして?」



ブラッドさんは優秀な3人のリーダーだし、その特殊な操作とやらを知っていても違和感はない。


けど、優秀組ではなく受付嬢であるニーナちゃんが知っているのは何故なんだろう…妹だから、じゃ少し矛盾してるわよね。




「ニーナはトップのお気に入りっつーか…いつも7階に呼び出されるからな」



お気に入り…そういえば、ニーナちゃんに対して安っぽいナンパをしていたあの男もそんなことを言っていたような。




「そのトップってどういう人なわけ?」


「ニーナにベタ惚れの強引男。」


「………」



即答したアラン。


仮にも目上に対する言い草がそれって…まぁいい情報を頂けて光栄だけど。



つまり7階は余程のことがない限り行けないってことね。残念だわ。
「車はこっちだ」



そうこうしているうちに1階に到着し、久しぶりに外へ出ることになった。




アランに言われるがまま付いていくと、待っていたのは黒い車。


あまり普及していない路面から浮いて移動するタイプの車だ。


しかもこれ、最新型じゃないの?



アランが平然と運転席に乗り出すもんだから、驚きを隠せない。



「これ、貴方の車なの?」


「あ?悪ぃかよ」


「いや……免許持ってる?」


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