マイナスの矛盾定義
俺は背後を振り返る。人がごった返していて、どこからの視線だかなかなか分からない。



でも思ったよりも早く、俺はそいつを視界に捕らえることができた。
理由は明確だ。モノクロな風景の中で、そいつだけがほんの少し色を持っているような気がしたから。


ゾッとするほど冷たく黒い瞳が此方を見ている。距離が近いわけじゃねぇのに、ハッキリと分かる。


人間が知らない奴と目が合った場合にする行動は大抵2つ。


何もなかったようにすぐ逸らすか、一応何か反応してから逸らすか。



それなのに、冷たく黒い瞳は逸らすことなく俺に視線を送ってくる。


視線の主――肌の白い男は、俺の後ろでも横でもなく、俺自身を見つめている。


浮世離れした美貌を持つその男だけは、他の人間と違って見えた。


あれは…そう、まるで。品定めでもしているような視線だ。




――と、その時。



「お前が“アラン”だなァ?」


フードを被った柄の悪い連中が、いつの間にか近くに立っていた。かなりの人数。


俺は気配や視線に敏感だ。


だからこそ柄の悪い奴等がこんなに近付いてきていたなら、気付くはずだというのに。



あぁ、それほど俺はあの男に見入ってたのか。



「…誰だ?てめぇら」


「ふざけんじゃねェ!俺の女に手ェ出したのお前だろ!」



連中の手には血の付いた金属バット。


また女関係で面倒事が起こりそうだ。今日は厄日か…?
つーかそれで俺を殴るのはやめてくれよ?


こっちは素手なんだよ。ただでさえ気が滅入ってんのに…勘弁してくれ。



「ちょーっと餓鬼のくせして女遊びがすぎるんじゃねぇのー?」


「そういう生意気なのは排除しなけりゃなァ」



柄の悪い連中はフードの下でニタァと気味の悪ぃ笑みを浮かべる。


周りの人間は見て見ぬふりをして去っていく。中には遠くから面白そうに携帯で写真を撮る奴等もいた。


俺は金属バットを持った連中の1人1人の手を順に見ていく。


傷のある手、ゴツゴツした手、血が付着している手、荒れた手。


様々なモノがあるが、どれも汚い。


モノクロの風景の中で、そこは特にドス黒い色に見える。



「ウォォオオオオラァァアアアア!」



獣の鳴き声に近い掛け声を上げながら、一斉に襲ってくる連中。振り回される金属バット。飛び散る鮮血。


何とか避けたものの頭に軽く当たってしまい、目がチカチカする。


マジかよ、ここまでするか?普通。


俺は誘ってきた都合の良い女しか抱かねぇ。そんな女の為に金属バット持ってこんな大勢でって…哀れだなぁ。



――ここまでされりゃ、もう正当防衛ってことでいいよな?
「ぐあっ」


呻き声を上げたのは俺じゃない。


連中の1人が俺に蹴られた衝撃で地面に倒れていく。


俺は死んでも構わないと言わんばかりにそいつの喉仏を容赦なく踏みつけ、金属バットを奪った。



さっきまでこいつのクソ汚ぇ手がこのバットに触っていたと思うと吐き気がするが、少しの間の我慢だ。



「ガッ!!」



1人、また1人と、冷ややかに金属バットを振り落とす。


血の匂いを感じる。嗅覚はまだイカれてねぇみてぇだ。


もしかすると死人が出るかもしれねぇ。それは俺じゃなく、この連中の中で。


丁度良い、ムシャクシャしてたんだ。


こんなにも色の無い世界に、うざってぇ現状に。



ここまで暴れれば流石に捕まっちまうかもしれねぇ。


それもいいかもな、こんな生活が終わるなら。



そういやこの近くには“リバディー”とかいう情報管理組織があった気がする。


そこは警察と繋がっていて、犯罪者の処理をしているだとか何とか。



いいな、ソレ。警察に捕まるより、そっちに捕まった方が断然イイ。



そしたらもう――俺自身が処理されればもう――こんな色褪せた、モノクロの世界は見ずに済むんだろうか――?
「……っ、」


自分の荒い呼吸音にハッとした頃にはもう遅く、柄の悪い連中は1人残らず倒れていた。


血の匂いが蒸せそうなくらいに充満している。早くここから離れよう。



金属バットをコンクリートの地面に転がした後、最初に殴られた頭に触れてみた。


べとりとした感触がし、手に付着した血。


頭からグワングワンと音がしているような感覚に陥る。



何だ、さっきはあいつらの手がやたら汚く感じたっつーのに――俺の手だって汚ぇじゃねぇか。


周りが騒がしい。野次馬が増える前に早くここを――



「待ってください」



同じように聞こえる喧騒の中で、その声だけは俺の鼓膜に響いた。


振り向けば、さっき俺を見ていた、浮世離れした男が立っていて。



「あぁ?」


「君、名前は?」


「……アラン」


「歳は?」


「…15」


「そうですか」



男からの意図がよく分からない質問に対して短く答える。何のつもりだ?コイツ。


正直に答える俺も俺だ。
無表情な男は、ピクリとも笑みを浮かべない。この状況で笑われても困るけどな。



「もういいか?これ以上こんな場所に居座れねぇ」



血生臭さに眉をしかめながら告げる。こいつは何で平然といられんだ?この匂いに何も感じねぇのかよ。




しかし俺は次の瞬間、


「人生捨ててください」


「……はぁ?」



男が発した予想外の台詞に思わず素っ頓狂な声を出してしまった。



こいつの纏う空気には有無を言わせない圧力がある。


それは確かにそうなわけだが、んな意味分からねぇこと言われても流石に困る。



「人生、捨ててください。」



もう1度今度はハッキリと伝えられた。



「…ったく、何なんだオマエ。俺は冗談に付き合ってる暇ねぇんだよ」


「冗談に聞こえますか?」



ゾッとさせられる冷たい瞳が俺を捕らえて離さない。


ポーカーフェイスもここまで来ると不気味だ。
「意味が分からねぇ」


「俺の目の色は何色ですか?」


「はぁ?」


「目の色です」



何色って言われてもな…。何なんだこいつ、自分の目の色がそんな気になんのか?



「黒だろ?」


まさかそんなことを聞く為だけに俺を引き止めてんじゃねぇだろうな。


男は何故か満足げに目を細め、こう言った。





「――――青です」



一気に冷たい空気が肌を掠めていくような気がした。


アップテンポな音楽も周りの人々の騒音も、何も聞こえなくなった。


時が止まったようだった。



「君、」



男の声だけが鼓膜に響く。


ずっと目を逸らしていた。要は気持ちの問題だと、思い込ませていた。



「“色”が見えていないでしょう?」



そうだ、昔は正常だった。


徐々に薄れていった。


色褪せていった。



残ったのはモノクロームの世界だけだった。
「……見える時もある」



嘘だ。今じゃ殆ど見えない。


白と、黒と、たまに灰色。それから極稀に見える色もあるだけだ。



「俺達の組織なら医療技術もあります。君の目を治せるかもしれない」



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