マイナスの矛盾定義
シャロンはそう言って面倒臭そうに再び椅子に腰掛けた。


単に動きたくないだけのようにも見えるけど…一理ある。


1晩泊まるだけなんだし、わざわざ探しに来ることもないだろう。



とりあえずこの服脱がなきゃ…まだ何か仕掛けられてたりしたら困る。



私は着替えが用意してある部屋まで行き、さっさと服を脱いだ。


服はクローゼットの奥深くにしまい込んで、帰る時に取り出すことにしよう。


そう思ってクローゼットを開けると、用意されていたのは比較的動きやすい服装。



それを身に付けながら着ていた服をクローゼットの奥へ押し込んでいると、部屋の外からシャロンが声を掛けてきた。



「つーかさぁ、ひょっとして怪しまれちゃってんのぉ?さすがのアリスもあの3人相手で苦戦中?」


愉しんでいるような声音。


どうして私の周りはこう、悪趣味な人が多いのかしら。
「そんなわけないでしょ。スパイだと思われるようなことは何もしてないわ」


「じゃあ何であんなん仕掛けられてたわけぇ?」


「好奇心旺盛な子がいるのよ。私が誰かと会うって言い出したから興味持っちゃったみたいで…私も迂闊だったけど」



クローゼットを閉め、返事をしながらも急いで服を着る。


部屋の前にシャロンが立っていると思うと安心できない。


着替えの最中だろうが何だろうが、平気で入ってくるような男だ。



少々雑に服を着た私は、ガチャリとドアを開けてシャロンを睨む。



「だから、別に苦戦してるわけでも何でもないわ。私を舐めないでくれる?」

「ふぅん、つっまんないなぁ。俺はアリスが泣きながら助けを求めてくる姿が見たいのにぃ」

「……」



わざと嫌悪剥き出しの表情をしてやると、性格の悪い雇い主はクスクスと笑って再びイージーチェアへと腰掛けた。


その向かいに1つ椅子があるけれど、勝手に座ると何か言われそうだ。


かと言ってわざわざ許可をとるのも面倒臭いから、立っていることにする。
「でぇ?改めてどうなの?リバディーへの潜入調査は」



欠伸をしながらそう聞いてくるシャロン。


相変わらずやる気のなさそうな男ね…。


それなのに仕事はできるんだから、皮肉なものだ。



私は心の中で毒尽きながらも、持ってきたカードを取り出す。


「収穫はあったわよ。まず、これ。リバディーの連中、このカードを使って階から階へ移動してるの」


ワンポイントのように泡のマークが付いたそのカード。


エレベーターを使用する際に使う。



リバディーに初めて来た時、ニーナちゃんに渡された物だ。


カードを手渡すと、シャロンはマジマジとそれを眺める。



「ふぅん。一応複製しとこっかなぁ。何日くらい休みもらってんのぉ?」


「2日だけど…」
シャロンの眉がピクリと動く。



「はぁ?2日だけ?」


「そうよ。複製なんかすると思ってなかったもの」


「いや、複製はそんな時間掛かんないけどさぁ。何すると思ってたわけ?」


「ちょっと成果を聞かれて終わりだと思ってたわ」



私はそう思ってはいる…けれど、シャロンとしては長い間連絡しなかったことへの説教も兼ねているのかもしれない。


まぁ、私も柄にもなくムキになってたわけだし…怒られても仕方ないか。



……なんて考えていると。



「俺は、アリスに会いたくて呼んだんだけど?」


シャロンが不機嫌さ全開でそう言った。
言葉を理解するのに数秒掛かり、理解してから反応するのに数秒掛かった。



「…もっとマシな嘘吐いたらどうなの?」


シャロンの口から“会いたい”なんて言葉が出てくるなんて…ほんと今日はどうかしてる。


いつもなら会いたがるどころか放置するくせに。




「ひっどぉ。信じてくんないわけ~?」

「信じないわよ。貴方がそんなことを言うなんて珍しいから、驚きはするけど」



というか、そんなくだらない冗談を聞く暇があったら何か飲み物でも貰いたいところだわ。


こっちはここに来るまで休憩してないんだから。


そう思い辺りを見渡すと、キッチンが目に入った。


ここってキッチン付きのホテルなのね。なかなか便利じゃない。


何か飲み物を淹れられたりしないかしら。
買いに行くのも面倒だし…とキッチンに近付くと、


「俺としてもこんな感情抱くの初めてなんだけどねぇ。アリスのことだから無事なのは分かり切ってるけど、連絡がないとどうも会いたくなっちゃってぇ」


何とも嘘くさい言葉を私に投げかけてくるシャロン。




反応するのも面倒で、スルーしたままキッチンの隣の冷蔵庫を開ける。


値札の付いた牛乳やジュースが入っていた。


どれもそこまで好みじゃないわね…それに、今は冷たい物じゃなくそれなりに温かい物が飲みたい気分だ。



「あっれ、無視ぃ?俺怒っちゃうよ?」

「…くだらないことばかり言ってるのが悪いんでしょ」

「ふぅーん。まぁ、たしかに“会いたかった”ってのとはちょっと違うかもねぇ。どっちかっつーと…」



キッチンの隣の棚を開けていると、シャロンの方からガンッ!!と音がして。



「――“ムカついた”のかも」



低い声音が室内に響く。


さっきの音は、シャロンが机を蹴った音らしかった。
「アリスが俺に連絡もしないで他の男にかまけてると思うとさぁ…何かこう、メッチャクチャにしてやりたくなっちゃって」



可愛い顔をしているくせに、言っていることは怖い。



「スパイ活動中に俺から連絡するわけにはいかないじゃあん?でもこの感情は抑えきれないしぃ、次に連絡してきた時にはすぐ会いに来いって命令しようと思ってたんだよね」



私が連絡しなかった間、そんなことを考えていたとは。


棚の中にあった値札付きのティーバッグから比較的安い物を取り出しながら、心の中で溜め息を吐く。




「連絡をしなかったことは謝るわ。正直貴方の発言にムカついて、ムキになってたの」

「ん?俺何か言ったっけ?」

「言ったじゃない、私が自分だけの物だのなんだの…」



ボソリとそう言った途端、シャロンはクスクスと笑い出す。




「あぁ、なーるほどね?それでアリスは拗ねちゃったんだぁ?」


「拗ねたも何も…そんなこと言われて嬉しいわけないでしょ。私は貴方の所有物じゃないのよ」
「それでずっと連絡してこなかったんだ?俺の思い通りになるのが嫌なんだよねぇ?反抗したくなっちゃうんでしょ?なぁんだ、心配する必要なかったみたい」


「…は?」


「俺に連絡してこなくても、アリスの中にはちゃあんと俺がいるっぽいしぃ?」



どういう解釈をしたのか分からない。


でもシャロンは何故か楽しそうで。



「アリスは反抗期なんだもんねぇ」

「…その言い方やめてくれない?」



いつもいつも、ペット扱いされている気がする。


もう慣れた…と言いたいところだけど、シャロンには1人前として見て欲しいという想いもあって。



私の中にあるこの感情が何なのかは分からない。


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