マイナスの矛盾定義
シャロンには舐められたくないと思うし、操り人形のようにコントロールされたくないとも思う。


反抗期…と言うなら、そうなのかもしれない。認めたくないけれど。
「てか、何つくってんのぉ?」


さっきまで興味なさげにしていたシャロンが、私の手元を見てくる。



「…ミルクティーよ。飲む?」


「んじゃ1杯頼もっかな。いつの間にかミルクティーなんかつくれるようになっちゃったんだねぇ」


「色々なところでスパイ活動をしていたら、自然と身に付くわ。特に最近はこういう雑務をすることが多いからね」




そう言いながらキッチンに置いてあったティーカップを2つ取り出し、できたてのホットミルクティーを注いだ。


ブラッドさんとアランは、私にやたら飲み物を要求してくることが多い。


だからこんな作業ももう慣れた気がする。



片方をシャロンに手渡すと、何故か眉を寄せられた。



「なぁにコレ。嫌がらせ?」


「…は?」


「俺が猫舌だって知らないわけじゃないでしょー?」
……あぁ、そう言えばそうだったわね。


シャロンと長い間一緒にいるのに、知らないわけがない。



「ごめんなさい、忘れてたわ。冷ましてから渡せば良かったかしら?」


「……忘れてたぁ?」



訝しげな視線が私に向けられる。


――そして次の瞬間、シャロンは躊躇いもなくミルクティーをわざと床に零していった。



それも少しではなく、カップに入っていた分全てだ。



「ちょっ…何してんのよ…!ティーバッグと牛乳、合わせて何円すると思ってるの?」


「そーんな勿体ないなら舐めればぁ?」


「…は?」


「床自体は綺麗だと思うよ?でも汚れちゃったしぃ、掃除しないとねぇ?ほら、犬みたいに舐めて綺麗にしなよ」



こいつ、自分で零しておいて私に掃除しろとでも言うわけ…?



「そんなことするわけないでしょ」

「あれれ?俺の言うことが聞けないの?」



理不尽すぎる命令に従うつもりはない。
「前にも言ったけどね、私は貴方の娯楽の為だけに生きているつもりはないの」


「…反抗的な目って何でこんなにゾクゾクするんだろうねぇ?屈服させてやりたくなっちゃう」


「くだらないことばかり言ってないで、仕事の話をしようとは思わないの?そこまで時間ないわよ、私は2日の間にやらなきゃならない用事が他にあるの」


「…用事ぃ?」


「貴方にも少し協力を頼んで良いかしら?――“ジャック”っていう男を探して欲しいんだけど」




そう。私がわざわざ2日も休みをとったのは理由がある。


ジャックとの再会を果たしたかったからだ。


リバディーにいる間、脱獄者である彼と会うのは難しい。


だから、折角休みを貰ったこの2日で少しだけ話をしたい。




「いいけどさぁ、まずそいつ国内にいんのぉ?」


「逃亡中みたいだし、まだこの国にいるのかは分からないけど…一応、探せるだけ探してみてくれないかしら」


「逃亡中?もしかしてそのジャックって、脱獄したジャックだったりする?」


「…知ってるの?」
「そりゃねぇ。昔はかなり話題になった犯罪者だよ。まぁ、アリスは知らないんじゃなぁい?ちょうどその時って、アリスが実験体にされてた時だしぃ」




“実験体”という言葉に少しだけ肩が揺れた。


ずるりと這い上がってくる不快感を、深く息を吐いて何とか抑える。


自分ではもう何ともないと思うのに、トラウマはそう簡単には消えてはくれないらしい。


まだ引き摺っているなんて…シャロンにバレたらきっと笑われる。



私は動揺を悟られないように、シャロンを見据えて言った。


「……ジャックとかいう男、あの研究に関わってたみたいなのよ」



――あの研究。私は実験体として関わった、あの研究。


やっと手掛かりが掴めたんだ。
さすがのシャロンも深刻な表情になった。



「…へぇ。それは初耳だなぁ」


「ジャックを知り合った経緯は後で説明するわ。とりあえず、早めに探し始めてくれないかしら?」


「まぁいいよ。下の奴らに指示しとく」



そう言って携帯を取り出し、何やらメールを打つシャロン。


私はそんな雇い主の前に、自分の分のミルクティーを置いた。



「…何?」


直ぐさま怪訝な顔をされる。



しかし、私は涼しげな表情でこう言った。


「せっかくつくった物をあっさり捨てられたこっちの身にもなってくれる?私の分あげるから、猫舌だろうがなんだろうが我慢して飲みなさいよね」



捨てたことを後悔させてやりたい。


私、そこまで不味いミルクティーをつくる趣味ないんだから。
メールを打ち終わった様子のシャロンは、目の前のティーカップに視線を向ける。



そして、


「……今度俺のこと忘れたらお仕置きだから」


と言ってまだ湯気が出ているそれに手を付けた。



なんだかんだで、少しずつだけれど飲んでくれるらしい。


そんなシャロンに不本意ながら口元が緩む。


よく考えると、シャロンが私の淹れた飲み物を飲むのはこれが初めてかもしれない。


黙々と熱いミルクティーと格闘しているシャロン。



リバディーの内部のことについて伝えるのは、彼が飲み終わってからにしよう。



「何笑ってんのぉ?」


不機嫌そうにそう言われ、また少し笑いそうになってしまったのは秘密だ。
―――
―――――



夕焼けが綺麗になってきた頃。


机の上には空になったティーカップ。


受付嬢であるニーナちゃんのこと、エレベーターのこと、優秀組の主な役割、それぞれの階のこと、トップのこと…秘書としてリバディーに入ってから分かったことを一通り話した私。




「さっすがアリス。順調じゃあん?」


機嫌良さそうに笑みを深めるシャロン。




全部伝えるのには思ったより時間が掛かってしまったけれど、リバディーほど私たちにとって危険な組織であれば、分かったことをあらかじめ書類なんかに纏めておくわけにもいかない。


その書類が見つかったらアウト…なんて、もっとリスキーなんだから。




ジャックと出会えたきっかけも勿論伝えた。


シャロンは興味あるんだかないんだか分からない態度で聴いていたけれど、驚きはしているようだった。


まさかリバディーで司令官をしている男の兄が、あの研究に関わっているなんて予想しなかったでしょうしね。



そういう意味でも、私のスパイ活動は順調と言える。
ただ――


「つーかさ。そのジャックが国内にいるなら明日の朝までには見つかると思うけどぉ、見つけてどうすんの?」


そう、そこだ。



私たちの組織クリミナルズは犯罪者を探すことくらいお手の物。


その気になれば、地球の裏側にいる犯罪者だろうが1週間ほどで居場所を特定することができる。


ただしこれは逃亡中の人間や裏の人間に限ったことで、真っ当な人間を探し当てるのは私たちの組織じゃ難しい。


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