マイナスの矛盾定義
あとは、待ち合わせの時間までに心構えをしておいて…。



「じゃあさ、アリス。もし俺が死んだらどうする?」


「……は?」



思わず振り返ると、そこには何とも言えない笑みを浮かべるシャロンがいた。
「俺が、死んだら。アリスは寂しがってくれる?」



冗談めいた口調なのに、どこか儚げな表情。



「……いきなり何。近々死ぬ予定でもあるの?」


「そう簡単に死ぬつもりはないよ。でも、俺だっていつ死ぬか分かんないじゃん?」



そんなこと、考えたこともなかった。


当たり前のことなのに、想像もしなかった。



シャロンが、もし死んだら――。


「……寂しいわ」



自然と口から出た言葉。


勝手に口が動いた、という表現がぴったりかもしれない。



そんな私の言葉に、シャロンは嬉しそうに笑った。


「俺も寂しい」と。



不思議とこの言葉だけは本心に聞こえて。


少しだけ、死の重みを感じた気がした。
―――
―――――




リバディーの本拠地から少し離れた街の一角。


いかにも女の子が好みそうな、可愛らしいスイーツカフェ。


その中の一番奥のテーブルに座って、ジャックを待つ私。



こんな場所で待ち合わせなんて…私って一体どんなイメージ持たれてるのかしら。


メニューに目を通しながらそんなことを思う。



「ご注文はお決まりですか?」

「んー…そうね。ガトーショコラをお願いするわ」

「かしこまりました」



適当に注文をし、時計を確認。


待ち合わせの時間まであと10分ほどあるし…先に何か頼んでおいても構わないわよね。


帰る時あの男に奢らせればいいんだし。



――…そう思って再びメニューに目をやった時。


「Da quanto tempo.」



お菓子のような甘い香りと、柔らかい声音。


聞き慣れない言語を理解しようとする私の脳。



これは、たしか…


「イタリア語、だったかしら?」


「正解。」



クスリと笑って私の前の席に座るのは、黒髪の美青年――ジャック。


相変わらず気配がないわね…声を掛けられるまで気付かなかった。
「…貴方、何カ国語話せるの?」


「大体完璧なのは3カ国語かな。簡単な会話くらいならもう少し多いけど。君は?」


「そういうのは苦手よ。ただ仕事柄色々な国に行くから、何語かは大体分かるわ」



そう言いつつ、周りにジャックの仲間らしき人物がいないかどうかを確認する。


私が知っているのは、この男があの研究に関わっていたということだけ。


深く信用はできない。




「安心しなよ。今日は俺だけだ」


そんな私の心情を察するように、さらりとそう言うジャック。


言われて信じるくらいなら、最初から信じてるわよ。…なんて思いながらも、軽く受け流す。


「そう。貴方も何か頼んだら?」

「別にいいさ。甘い物は好まないんでね」

「なら何でわざわざこんな場所…」

「君が美味しそうに何かを食べてるところが見たかったから」

「…妙な趣味ね」

「そうかな?人間が何かを食べてる時って、一番動物らしいと思わない?」

「……」

「俺はそういうの、結構愛しく思っちゃうんだけど」



自然と眉が寄った。



「…あんな研究に関わってるだけあるわね」


少しだけ低くなった私の声。



「あぁ、誤解しないで。悪い意味じゃないから」

「じゃあどういう意味だって言うの?」

「俺が言ってるのは、“生”を感じられて愛しいってことだよ」



嫌味にしか聞こえないのは、私がこの男を警戒しすぎているからなのか。


目の前の優しげな笑顔ですら、怪しく思えてくる。
「…私ね、前置きって嫌いなの」


「うん?」


「てっとり早く、あの研究について知っていることを教えてくれないかしら」



そう言ってにこりと笑ってやれば、向こうも楽しげに目を細めた。



「どういう目的で教えてほしいのかによるかな」


「解毒剤を探しているの」


即答した私。別に、隠すつもりもない。



「毒、ね…。研究者の中には、あれを神薬と呼ぶ奴らもいるのに」


「私の人生を狂わせたあんな薬が神薬?笑わせないで」


「ふーん…。つまり君は“完全体”になりたくないってわけ?」


「当たり前でしょう?だから、何とかして20歳までにあの薬の侵食を止めたいのよ」


「なるほど。それが君の目的?」


「ええ、大雑把に言えばね」




そこまで話したところで、ちょうど店員がガトーショコラを持ってきた。


やっぱり頼まない方が良かったかしら…話の途中だっていうのに。



ガトーショコラが乗っているお皿を一旦隣に寄せようとすると、


「どうぞ食べて?君が食べている間に俺が話させてもらうよ」


と言うジャック。



無駄に気が利くんだから…じゃあお言葉に甘えて食べさせてもらおうかしら。


フォークで一口サイズにしたガトーショコラを口に含む。


………美味しい。


何なのよこの美味しさは。


リバディーの建物内の2階にあるスイーツ店の物と同じくらい美味しい。



なんて地味に感動させられていると、ジャックはふふっと柔らかく笑って話し出す。




「まず、君の目的に関しては大体見当がついていたよ。…だからこれを持ってきた」
ジャックは、ポケットから小さな入れ物を取り出す。


そして、黙って食べている私を一瞥し、その入れ物の蓋を開けた。



「これは、君を一時的に完全体にすることができる薬だ。因みに即効性。代わりに、本物の完全体になるまでの期間が1錠で約半年延びる」



中に入っていたのは――2錠の薬。


1錠で半年…つまり、合計1年。



「残念ながら、君を完全体にならないようにする方法を俺は知らない。ただ、これは数年かけて開発した薬だ。君に投与された物を真似してつくった。でも、やっぱりうまくいかなくてね。この薬が効くのは唯一君だけ、しかも一時的にだ。完全体になるまでの期間が延びるのは副作用みたいなものなんだけど、君にとっては好都合だろ?」



薬の開発…あの薬を真似てつくった?


数年かけて…?たった数年で、私を一時的に完全体にさせるような薬をつくれるわけがない。



私はガトーショコラを食べる手を止め、ジャックに視線を向ける。



「貴方1人でやったことなの?」


「まさか。俺も多少は加わったけど、殆どは組織の連中がやったことさ」



その言葉に、嫌な予感が這い上がってくる。



「まさかとは思うけど…あの研究は、組織をつくるほど大きな物になったわけ?」


できれば、違うと言ってほしい。


有り得ないけれど、いっそあの研究自体が雲散霧消したと言ってほしい。



けれどそんな私のささやかな願いは、


「あぁ、今は研究員がかなり増えてる。国もあの研究を支持してるよ」


一瞬にして消え去った。
「けど、成功した個体は未だ君だけだ。おそらくあの薬との相性ってものがあるんだろうね」


「……貴方も、その組織とやらに属しているの?」


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