マイナスの矛盾定義
私は薬の入っている入れ物に視線を向ける。


正直言ってこれもかなり怪しい。



「…この薬、今この場で1つ貴方が飲んでくれないかしら」


「え?」


「人体に害がない物か確かめたいの。貴方が私を騙している可能性がないわけじゃないもの」



これが実は睡眠薬だなんて言われてもおかしくはない。


騙されて連れ去られるなんてことがあれば、シャロンに笑われる。




「いいの?残り1つになっちゃうけど」


「半年もあれば十分よ。これからは貴方からあの研究に関する情報を得られるし」


「ふーん、余裕だね。言っておくけど、俺も知っていることは少ないよ?」


「少ないかどうかは聞いてみないと分からないわ。それに、もしそれが害のある薬だった方が厄介だしね」



澄ました顔でそう言ってやれば、ジャックはクスクスと笑って薬を1つ手に取る。そして、それをあっさりと口の中に入れた。


ゴクリとわざとらしい音がする。



「ほら、心配しなくても害はないさ。第一、俺がそんな物女の子に渡すわけがない」


確かに、今のところジャックに異変はない。
でも…


「口、開けなさい。ちゃんと飲んだか確かめるから」

怪しむなら徹底的に怪しまないと。



ジャックはふふっと笑って躊躇うことなく口を開けてみせる。


私はガトーショコラをまた一口食べながらじーっと見て、薬がないことを確かめた。


まぁ、この様子だとちゃんと飲んだみたいね…。



納得して頷くと、


「口内じろじろ見られるのって何かエロいね。何なら熱いキスで確かめてくれてもいいんだけど」


余計なことを言い出したので軽く舌打ち。



私の知り合いの男って、どうしてこういうのが多いのかしら。


呆れながらも、薬の入っている箱を服のポケットに入れる。



「それで?他には?」


「うん?」


「これだけってわけじゃないでしょう?貴方はまだ、私にとって有益な情報を持っているはずよ」


「うーん…今日はこれだけにしておこうと思ってたんだけどな。君の組織のリーダー…、確か女みたいな名前の…あぁ、シャロン君とも連絡先交換したし、その気になればいつでも話せるから」




連絡先交換って…あいつ、勝手に何やってんのよ。
「――まぁ、もう1つ教えておこうか。“如月”なら君が望む情報を全て持っているかもしれない」


「きさらぎ…?」


「研究の中心人物は2人。如月と、君の父親だ」



ガトーショコラの最後の一口を、口に含む。



「肝心の君の父親は現在消息不明らしいけど、如月には会ったことがある」



会ったことがある?妙な言い方だ。


同じ組織に属していても、研究の中心人物には滅多に会えないということなのだろうか。



「あれは筋金入りのマッドサイエンティストだね。一番の研究材料である君自身が直接会うのはかなり危険かな。でも、連絡を取れる可能性なら君の父親よりも如月の方が高い」



ふん、そんなのどっちだって大して変わらないわ。


マッドサイエンティストと言うのなら、お父さんだって同じだもの。



「俺にとっても謎の多い組織だからね。如月が今どこにいるかは知らない。でも、君の組織ならその気になれば見つけられるだろ?」


「…結局シャロンの力を借りるハメになるのね」


「自分1人じゃ何もできないことが不服?」



嫌な言い方をする男だ。



「いいえ、何でもないわ。とりあえず今はそれが聞けただけでも十分よ。如月って人、探してみるわね」
そう言って食べ終わったガトーショコラのお皿を横にやって立ち上がると、「つれないな。もう帰るの?」と笑うジャック。



「俺としてはこれからデートでもしたいところなんだけど」


「あらそう。勝手に1人でやっとけばいいわ」


「君って面白い子だよね。折角再会できたんだし、俺としてはもう少し好感度を上げておきたいんだけどなー。…そうだ、何か他のスイーツも奢ろうか?持ち帰ることもできるみたいだし」



あら、分かってるじゃない。


持ち帰りができるならいくらでも買わせてやろう。



「貴方意外とイイ男ね」


ふふっと笑ってみせると、ジャックは立ち上がりながら苦笑した。



「君にとってイイ男って自分に貢ぐ男なの?」


まぁ、そんなところかしら。と心の中で呟きつつもカウンターに行って再びメニューを見てみる。



問題は当然どれも賞味期限があることだ。


沢山買っても全部食べきれるかどうか…でも、どうせ奢ってもらえるなら沢山買いたい。
暫し考え込み、すぐに良い案を思い付いた。



「4人分、買ってもらっていい?」

「もちろん。それが君の望みなら」



4人…私と、ブラッドさんと、アランと、ラスティ君だ。


あの人たち、2階のスイーツ店に売っている以外のお菓子を食べる事なんて滅多になさそうだし。


折角来たんだからお土産として買って帰ろう。



店員さんに注文をし、用意されるのを待つ。





「…まぁ、これで慰謝料の三分の一くらいはチャラにしてあげようかしら」


ふと銃で撃たれた時の責任をまだ取ってもらっていないことを思い出しそう言うと、ジャックは愉しげに笑う。



「てことは残り三分の二?そうだな…今日は無理でも、またいつかデートっていうのはどう?」


「自信家なのね。デート如きで三分の二の慰謝料分満足させてくれるとでも言うの?」


「勿論デートだけじゃないさ。それまでには君にとって有益な情報をもっと集めておいてあげる」


「ふーん…期待しとくわね」
そんな会話をしていると、店員さんが4人分のお菓子が入った箱を持ってきた。


かなりの額だというのに、本当に全て支払うジャック。


嗚呼、なんていい男。



少しだけ重たい箱を持って、私たち2人は店を出る。



「送っていこうか?」


「必要ないわ。それにこれから行く場所はリバディーの本拠地よ。いくら貴方でもそこまで行ったら捕まっちゃうんじゃない?」


「あぁ、まだあそこでスパイやってるの?」


「まぁね。今回も少し休暇をもらっただけだから、そろそろ行かないと」



“帰らないと”ではなく“行かないと”。


あの場所は、私が本来いる場所じゃない。




「分かったよ、君ともうお別れってのは残念だけど。また聞きたいことがあったらシャロン君を通じて聞いてきて。あと、俺とのデートの予定もちゃんと入れておいてね?」


「貴方がいい情報を持っているならね」


「俺自身への興味はないのか、寂しいなぁ。ていうか俺、かなりヤバイことしてるんだよね。一応あの研究に関わる組織の一員なのに、情報を漏らすどころか君を見逃すつもりだし。俺としてはこの誠意を評価してほしいところだけど」


「精々バレないように気を付けなさいよ。じゃあ」




そう言って背を向けると、ジャックは「本当、つれない」と笑う。
そして。


「そうそう。君も、気を付けた方がいい」


「…何を?」


「シャロン君だよ」



どういう意味か分からず訝しげな視線を送ると、ジャックは曖昧な答えを返してくる。



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