マイナスの矛盾定義
低い声でそう言われ、苛立ちながらも口内に入ってきた指に少しだけ舌を這わせる。


かき氷のシロップ独特の味がした。



「あーあ、その嫌そうな顔結構イイわ」


アランが原因で辞めていく秘書が今まで何人もいたことに、今ようやく納得ができたような気がする。


私はただかき氷が食べたかっただけなのに…何故こんなことに。
「つーか、指咥えてんのいいな。別のモン咥えさせてやりたくなる」


アランの発言に何の話だと考え、数秒経って意味が分かった私は、全身の力を込めて抵抗した。


「ハッ、何の話だと思ったわけ?」


しかし、鼻で笑われるだけ。


こいつ…!いつかこの屈辱を100倍で返してやる。


だんだんムカつきが増してきて、どう仕返ししてやろうかと考え始めた――その時だった。




バシャンッ!!と音を立てて、水がアランに降りかかる。


一瞬状況が把握できず、アランの方を見ると。


「あ、すいませ~ん」


この売店の店員の1人が、水を運んでいる最中よろけてアランに水を掛けてしまったようだった。


指が私の口内から出て行く。人目を気にしなさ過ぎるアランは舌打ちをしてその場でビショビショになった服を脱ぎ始めた。


周りにいる人々の視線がアランに集まる。


何か、水が滴ってると色気倍増するわね…こいつ。
ていうかこの店員、自分が水かけたんだからタオルくらい持って…き……たら…、


「は…!?」


思わず大きな声を出してしまった。


慌てて自分の手で口を塞ぐ。


え、何、どういうこと?は?え?


この売店の店員の服を身に纏い、伊達らしき赤い縁の眼鏡を掛けている男――メープルブラウンの髪と、ダークブラウンの瞳。


―――…間違いない、シャロンだ。



ポカンとしていると、いきなりシャロンに腕を掴まれた。


「ちょっと来てくれますぅ?」


有無を言わせない力で引っ張られる。


「おい、待て。何でそいつなんだ?」


すかさずアランがそう言った。



しかし、


「こちらの方にも水が少々掛かっておりますので。女性ですし、奥で拭いた方がよろしいかと」


シャロンはまかり通っているようないないような説明で返して、そのまま私を店の奥の方へと連れて行く。
「どうやって入ったの…?」


小声で聞くと、

「カード、複製したしぃ。潜入すんの簡単だったよ?」


と当たり前だとでも言いたげな表情で答えられた。



そんなこと言ったって…ここの店員じゃないことがバレたらまずいことになる。


一応クリミナルズのリーダーなんだし、いくら変装していても分かる人には十分分かるはずだ。



「今すぐ帰って…!」


「はぁ?何で」


「何でって…危ないじゃない」


「ふぅん、心配してくれるんだ?」


「当たり前でしょ?仮にも貴方は私の雇い主なんだから…」


「ハイハーイ、分かりましたよぉ。俺はちょっとペットの様子を見に来ただけだしぃ。…まさか他の男に尻尾振ってるとは思わなかったけど」



誰がペットよ、誰が。



「むかつくなぁ…いっそ本当にリードつけてやろうかなぁ」


「…それじゃ仕事が進まないでしょ?」


「アリスが活動中に男誑かしてんのって初めてじゃない?そんな気に入った?」



伊達眼鏡の奥の瞳が私を捕らえる。
「そこまで器用な子に育てた覚えないんだけどなぁ。男の騙し方、どうやって覚えたの?」


「何でそういうことになるのよ」


「どう見たってそういう風にしか見えなかったしぃ」


「そんなんじゃ…っていうか、本当にもう帰って。私も早くアランの所に行かないと怪しまれるわ」



そう窘めると、シャロンから返ってきたのは舌打ち。


何なのよ、何が気に入らないのよ。


こんな敵地にノコノコやってきていつも通りの我が儘って、暢気すぎるでしょう。



「あんまさぁ、ここの連中とベタベタしないでくんない?」


「は?」


「分かった?ハイは?」


「……」


「ハイ、は?」


「……ハイ」


「そうそう、そうやって俺にだけ従順でいればいいよ」
何も変わってないわね、この男。


特に私を自分の思い通りにしたがるところが。




「じゃあ、俺はそろそろお暇しようかなぁ。最近寂しくなってきたし、ここでの活動も早めに終わらせてねぇ?」


嘘吐き、全然寂しがってないくせに。



「戻ってきたら、俺の膝の上にずぅっといさせてあげる」


そう言って私の瞼に軽くキスするシャロン。


…相変わらずの上から目線。



「じゃーね。あの変態野郎にはこれ渡しとけばいいから」


その辺の椅子にかけてあった誰のだか分からないタオルを渡してくる適当さ。


まぁ、何も持たずに戻るよりはマシなのかしら…。


呆れつつも、軽い足取りで去っていく背中を見つめる。



もうちょっと危機感覚えたらどうなのよ?と心の中で文句を言っておいた。


でも、あいつの場合きっと、何も考えていないようでいて色々考えてる。


あんなに何気ない感じに見えても、万全を期してから来たのだろう。



驚いたのは事実。だって、シャロンがこんなことをしたのは始めてだから。


私のことを心配してくれたのかしら、なんて。



「……もしそうなら、舐められてるわね」


ポツリと苛立ちを孕ませた息を吐き出す。


心配されるほどのミスを犯すとでも思われてるのかしら?それはそれで腹が立つ。
タオルを持ってアランの元に戻ると、アランは上半身裸でも特に気にしない様子で立っていた。


まぁ、水着の人も多いしそこまで気にすることもないのかしら。



「タオル持ってきたわよ」


「……」


「…何か、怒ってる?」


「いいところで邪魔されたしな」



私にとってはナイスタイミングだった…と言いそうになるのを堪え、タオルを渡す。


「貴方って乱暴な人よね」


「お前にはかなり優しくしてんだけど?」


「そう?とても優しいとは言えないような扱いを受けてる気もするけれど」


他の人への扱いはどんだけ酷いのよって話になる。



すると、タオルで身体を拭いていたアランがこちらを見てニヤリとした。


「そりゃマジで乱暴な時の俺を知らねぇからだろ。何なら教えてやろうか?」


「……遠慮しとくわ」


嫌な予感しかしないじゃない。


私の返事に、アランは少し面白くなさそうな顔をして一番近い椅子に腰を掛けた。
テーブルに、私がシャロンの所へ行っている間に用意してくれたらしいかき氷が置いてある。


私も反対側の椅子に座り、冷たいかき氷を口に含んだ。



「あぁ、そうそう…貴方、この番号知ってる?」


ふとさっき来た謎のアドレスからのメールのことを思い出し、内部用の携帯を見せると。


「そりゃトップだろ」


「え、エリックさん…?」


なるほど、エリックさんなら私の番号やアドレスくらい把握していて当然かもしれない。


「つか、お前内部用の携帯持ってんだな」


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