マイナスの矛盾定義
それに、ここのメンバー達にいつまでもソワソワされちゃ困るし、安心させてあげないといけない。


パタパタと小走りで部屋に戻っていくメンバーの後ろ姿を見ながら、再び煙草に火をつけた。




そして、


「…どう思う?陽」


ドアの後ろに隠れているであろう陽に向かって問い掛ける。



「あっれ、ばれちった?さすが、鋭いなーチャロは」


予想通り、珍しくサングラスを外した顔がひょこっと現れて部屋の中に入ってきた。


その手には缶ビールが2つ。


1つを差し出してくるので、「気ぃ利くじゃん、ありがと」と笑ってそれを受け取る。


生暖かい夜風が吹くと共に、陽は口を開いた。


「スパイがいるっつー噂なら俺も昼間聞いた。確かに、噂の広まり方があいつの言ったように不自然すぎる。誰かが意図してわざと根拠もない噂を広めたとしか思えねー」



よく冷えた缶ビールの蓋を開けながら、アタシは煙を吐き出す。


「スパイなんているわけないって言いたいの?」


「そうは言ってねぇよ。こういう組織だし、誰がスパイか分かったもんじゃねーしな。スパイがいるかいないかって話じゃなくて、誰が何の目的で噂を広めたのかってことだ」



確かに意図的に広められたとしたら、その目的は気になる。
「…場を混乱させる為ってこともあり得るし、とにかく何か問題が起こらないように対処していかないと。やること増えるなー…気ぃ引き締めないと」



そう言って煙草を灰皿に置くと、不意に陽の手がアタシの肩に置かれた。


見上げれば、するりと自然に陽の顔が近付き――唇が重なる。


音もたてず、ただ触れるだけのキス。


アタシは黙って陽を見つめた。陽は、いつものようにヘラヘラ笑ってはいない。


嗚呼、これは…アタシたちにとって一体何度目のキスだろう。



「……あんたってさ、アタシのこと好きなの?」


これは一体何度目の質問だろう。


陽から返ってくるのは、毎回同じ答えだ。


「好きなわけねーじゃん」
アタシは深く溜め息を吐き、この理解できない行動にいつものように悩まされる。


こういう中途半端なとこ直せばいいのに。



「何でキスなんかするの」


「チャロが頑張ってて可愛かったから」


「……馬鹿みたい。可愛いからって誰にでもするわけ?」


「チャロにしかしねーよ」


「それはそれで問題だと思うんだけど…」



好きでもない女にしかしないキスってどうなの。


ていうか。

「アタシの気持ち知ってるくせにそういうことするんだ?」


苦笑しかできない。振り回すのも大概にしてほしいところだ。



「あぁ、知っててやってる」


「…分かっててこういうことするのは無神経だと思わないわけ?」
アタシより4つも年上のくせに、女関係のケジメをつけられないなんて馬鹿みたい。


フるならフるでキッパリしてくれたらいいのに。


どうせこの男は――アタシの気持ちに対する返事なんて用意していない。



「ごめん、もっかい」


「は!?ちょっ…」



いきなりズイッと顔を近付けてくる陽に、必死で抵抗する。


こんのチャラ男…っ!!今注意したばっかでしょうが…!!


アタシは訓練で鍛えた体を使って、何とか陽を蹴り上げた。


どすんっと大きな音を立てて床に倒れる陽。


あ、今夜中だ…今の音で目を覚ました人がいなければいいんだけど。


アタシは溜め息を吐きながら、陽を見下ろす。


こんな時、陽はいつものようにへらりと笑って言うのだ。


「俺チャロのこと困らせんの好きだわ」と。
《《<--->》》
-drop-
「アリスちゃん、ぶらりんと喧嘩でもした?」



ラスティ君がそんなことを聞いてきたのは、ブラッドさんと話した夜の次の日の昼だった。


仕事中顔には出さないようにしているものの、少しだけ気まずい状況の私たちに気付いたようだ。


まぁ、ブラッドさんの態度で大体分かるだろうけど。


ブラッドさんは、今日ずっと私に対して今までのような態度をとらない。


分かりやすいくらい、私をただの秘書として扱っている。



「あ、もしかして~ぶらりんがアリスちゃんに手ぇ出しちゃったとか?」



私はラスティ君を勢いよく睨み付けた。



「あ、図星?どこまでいったの?」



こいつ…ほんとこういう話好きよね。
「大したことはしてないわ」


何でもないよう振る舞う私に、ラスティ君は追い打ちを掛ける。



「なるほど…ってことはチューくらいはしたの?」


「……」


「もしかしてファースト?ねぇねぇ、ファースト?」


「……」


「え…マジ?当たり?アリスちゃんファーストキス?」


「……」


「うわー、アリスちゃんにとってファーストキスだったなんて知ったら、ぶらりん嬉しすぎて倒れちゃうんじゃない?てか、アリスちゃんも災難だったねー。初めてがぶらりんとか、今後並みのキスじゃ満足できなくなっちゃったりして。欲求不満なアリスちゃん…想像すると萌えるね」



嗚呼、今すぐ目の前の癖毛をむしり取ってついでに金もむしり取りたい。



確かに唇へのキスは初めてでもあったから、戸惑ってしまったけど…。


それに、キスがあんなに官能的なものだとは知らなかった。


あああああああ、もう…なるべく思い出さないようにしてたのに。
「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと連れて行って。私のお昼休みもそんなに長くないのよ」



話を逸らすようにして、楽しげなラスティ君と共にエレベーターへ向かう。


そう――今日は、8階に行ける日なのだ。


シャロンからの具体的な任務…情報管理室でクリミナルズの情報を消去する、という物。



「8階全体が情報管理をしている場所なの?」


「そうそう、この組織は本来情報管理組織だからねー。今は活動内容も変わってきちゃってるけど」



私の問いに答えながら、【8】のボタンを押すラスティ君。



「にしても、最近ぶらりんとアリスちゃんの変化を見るのが楽しくて仕方なくってさー。まさかキスまでいくとは思わなかったな」


「……ちょっと、この話まだするわけ?」


「まぁ、この様子だとぶらりんが一方的にしたんだろうけど…あのぶらりんが、ねぇ。あーあ、残念。アリスちゃんに4階紹介した時、やっぱ無理矢理にでもチューしとくべきだったな。そしたらそれを知った時のぶらりんの嫉妬が僕に向けられる…ファーストって大切にする女の子多いんでしょ?その“大切”を僕が奪ってたとしたら……あ、着いちゃった」



エレベーターの扉が開く。


あくまでも話の中断であって終了ではない。ラスティ君のくだらない話は多分まだ続くだろう。耳栓持ってくれば良かった、なんて後悔する。
エレベーターから降りると、そこには長い廊下があった。


一本道だ。突き当たりに大きなドアが見える。


天井には、いくつもの監視カメラが設置されている。



「あ、ここのカメラは気にしなくていいよ。チェックするのは何か問題が起こった時だけだし」


私の視線の先に気付いたラスティ君がそう言う。


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