マイナスの矛盾定義
その日はやたらと忙しい日だった。
周りがモノクロで。


俺の手は真っ黒で。


前も後ろも真っ暗で。



それが訳も分からないうちにカラフルになって。


訳の分からないうちに仲間と呼べる奴らに出会って。


初めて未来が見えた気がして。


『アンタの手の方が綺麗だと思うけど』


気付けば隣にそんなことを言うガキがいた。



でも、何故か触れようとしても触れられない。


どうにかして触れようとすれば、ガキは弾けるように暗闇に消えた。


俺の手が汚れていく。どんどん、どんどん、どんどん。


暗くて顔も見えない人間達が弾けていき、更に汚れていく。


俺自身も黒に埋もれていく。


あぁ、こいつらは――俺が処分した奴らだ。


黒が弾けていく。同時に閉塞感に襲われる。



もう、このままこの暗闇に身を任せてしまおうか――と思った時。


手が。誰かの手が差し伸べられた。


唯一黒くない手。その手が動かない俺の手を握る。


俺のより小さいくせに、力強い手。


『貴方自身がマイナスなんだから、どれだけ累乗してもマイナスになるのは当たり前でしょう』


その手の主は言った。


『貴方の手は綺麗よ』


そう言って俺の手の甲にキスをした。



周りがまたカラフルになる。


前を見ると、仲間がいた。
――――――
―――…



「アっラっン~ウトウトしちゃダメだよ~」


ハッとして目が覚める。


自室のソファの上だった。目の前にはニコニコしたラスティがいる。



「勝手に入ってくんなよ…」


「だって鍵開いてたし、返事もなかったからさー。またお昼寝してたの?」


「ちょっとだけな。…つーかお前、今回はどこまで分かってんだ?」


「ん?何が?」


「いきなりスパイがいるとか言い出しただろ。しかもそれ以上何も言わねぇし」



ラスティは理由もなくそんなこと言い出す奴じゃねぇってのを全員分かってるから、組織全体が警戒してこんなに動いてる。


こういう時大抵、こいつはちょっとした情報しか俺達に与えない。


自分は一歩引いた場所で、傍観者として楽しむ為に。
「まぁまぁ、そこは掘り下げないでよ。僕が言わないのは分かってるでしょ?そんなこと話す為にアランの部屋に来たわけじゃないしー」


「あん?」


「これ。落ちてたからアリスちゃんに渡しておいてほしいんだよね」



そう言ってアリスの物らしきピアスを渡してくるラスティ。


心なしかいつも以上に機嫌が良いように見える。



こいつが機嫌良いと嫌な予感しかしねぇんだよな…と不審に思いつつ、そのピアスを受け取った。



「何かあったのか?」


「んー?何がー?」


「気持ち悪ぃくらい楽しそうにしてんじゃねぇか」



ラスティはピタリと動きを止めた。そして少しだけ驚いたような顔をした。


数秒後、クックッと笑い声を漏らす。


こいつの思考が読めないのはいつもの事だが、今日はいつにも増して分からない。
「そお?僕、楽しそうにしてる?」


自覚してねぇのかよ。



「そっかそっか。楽しいんだね、僕。」


1人納得するように頷く。



不意に出会った頃の変な所で無知なラスティを思い出してしまって。


――何となく、ゾッとした。



「…今更だけどな、俺はベルもお前も同じくらい大事だった。だから妙な真似すんなよ」


「え?」


「最近のお前、いつにも増してフワフワしてる感じがすんだよ。俺の知らない間に死んでそうで怖ぇわ」


俺の言葉にラスティは苦笑して――一瞬泣きそうな顔をして――また笑顔を作った。



「アランは優しいね。今も昔も、僕たちの保護者って感じ」



時折する儚げな笑い方がベルと似ている。
「まさかアランに死ぬなって言われるとは思わなかったなー…変わったね、人の死に素直に脅えるなんて」



珍しくふふっと純粋な子供のような笑いを漏らしたかと思うと、くるりと方向を変えてドアへと向かう。



ドアの前でまた振り返り、「ピアス、早めに渡しといてね。間に合わなかったら困るから」と言った。



「僕は見たいんだよ、最後の悪足掻きってやつをさ」



訳の分からないことを言い残し、部屋を出て行く。


何なんだあいつは…。


不審に思いながらも、俺は軽くのびをしてソファから立ち上がった。


アリスに電話して仕事部屋にでも呼び出すか…俺はピアスをポケットにしまい、ゆっくりとした足取りで仕事部屋へと向かう。
―――
――――――




仕事部屋にはブラッドだけがいた。


相変わらずの無表情で、俺が来ても何も反応しない。


こんなのはいつものことだ。俺は気にせずソファに腰を掛ける。



そして内部用の携帯の連絡先を開こうとした時、


「アラン」


ブラッドが俺を呼んだ。


こういう時は大抵仕事の話――…



「アリスは何者なんでしょうか」


…あん?何者って言われてもな。



「何かあったのか?」


「彼女はシャベル型の切歯だった」


「…いつそんなん確認したんだよ」


「キスをした時にです」


「は?キス?」



思わず見上げる。平然とした顔で俺を見るブラッドと目が合った。


その手には、よく見るとアリスを秘書として採用した時の書類がある。
「シャベル型の切歯は、遺伝的にこの国ではなかなか珍しい。でも、この紙には彼女がこの国で生まれてこの国で育ったと書いてあるんです」


「…何が言いたい?」


「切歯がシャベル型なのは――東アジア人に多い」



俺が眉を顰めると、間髪入れずにブラッドが言った。


「春のことですよ。彼女は日本人なんです」



春…ブラッドの口から嫌というほど聞いた名前だ。


ブラッドの初恋の相手、指名手配人。


既に死んでいるのに、ブラッドは探し続けている。



毎回の話だが、春のことになるとブラッドと俺達はどうも話がかみ合わねぇ。


そもそも死んだのに探すのは矛盾している。未だに指名手配されている理由も分からない。



「…たまたま珍しい形質だったんじゃねぇのか」



つーか、キスしたってどういうことだよ。
「アリスを秘書として採用した際の情報全てがフェイクである可能性がある」



……どうやらブラッドはどうしても春とアリスを結びつけたいらしい。


ラスティの言う通り、こいつはアリスを春の身代わりにしようとしているのかもしれない。



「…あいつと春を一緒にするな」


「俺はただ偶然とは思えない事実を述べているだけです」


「そんなに似てんのか?春とアリスは」



俺は春を直接見たことがない。


指名手配されてんだから写真くらいは見たが、あれだけじゃ似ているとも思えねぇ。



「似ているのは外見がという意味じゃない。そうですね…印象、と言うべきでしょうか。でも、アリスは自分が春ではないと言う」


「あいつがそう言ってんなら、そうなんだろ」



ブラッドは腑に落ちないといったような表情で黙り込んだ。



……そんなに春が好きならアリスに手ぇ出すなよ。
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