マイナスの矛盾定義
「失敗が許されない組織だってある。特に犯罪組織は。運良く帰って来られたとしても、能無しとして処理されることだって少なくないわ」


「なるほどね。でも、君は元々犯罪者ではないだろう?国が敵だからそういう組織にしか身を置くことができないだけだ」


「そう、部外者である私をわざわざ置いてもらっているの。私は自分がこの組織の利益になるような幹部じゃないと気が済まない」


「…頑固だなぁ」



困ったように苦笑するジャック。


その笑い方は、ブラッドさんとは違ったものだった。
―――
――――――




髪を切り終えると、何だか少しサッパリした。


私はジャックと並んで椅子に座り、チョコのロールケーキを食べる。飲み物はマシュマロショコララテ。


ジャックは缶コーヒーを飲んでいる。



私がこの家にいる間、食事を買ってきてくれるのはジャックだ。


やたらと世話焼きで、私がお腹が空く頃に食事を持ってくるし、退屈な時に本を持ってくる。


普段は隣の部屋にいるけれど、たまに私の話し相手になってくれる。



――こういうことに慣れているとしか思えない。



確かエリックさんが、ブラッドさんとジャックは過去に金持ちの屋敷に売られたと言っていた。


売られたってことは、当然そこで働かされていたわけで…もしかしたらそこでこういうこともやっていたのかもしれない。




そんなことを考えながらロールケーキをまた一口食べた時、私の右側に座っているジャックが珈琲の缶を置いた。
何てことない自然な動作。しかし、私が見たのはそこではなく――…彼の左手の薬指。


指輪は付けていない。


でもその部分だけ日焼けしておらず、細い跡が付いている。



「…結婚してるの?」



私の声に、ジャックは少し遅れて反応した。



「してるよ」



その瞳はこちらを向かない。



「…意外だわ。どうして外してるわけ?」


「俺のくだらないこだわりかな。最近、彼女の望みを果たすまでは指輪を付ける資格がないように思えてさ」


「指輪外してて疑われたりしないの?貴方、ただでさえすぐ女性を口説くのに」


「…死んだんだ。もう4年になる」



その言葉に、私は口を閉ざす。
「元々病弱な人だったからね。長く生きられないことは分かってた」



ポツリとそう放ち、缶コーヒーを再び口に含むジャック。



「……愛し合ってたのね」


「少なくとも俺は愛してたかな」


「どういう意味?」


「彼女は違った。――ブラッドが好きだった」



どこか悲しそうにフッと自嘲的に笑う。



「俺はブラッドの身代わりだったんだよ。でも…身代わりでも良かった。彼女が俺を見てくれるなら。彼女が手に入るなら」



ジャックの言葉の裏に何があるのか分からない。


一体どんな想いを隠しているのか、何があったのか。
じっと見つめていると、ジャックは平然と話を切り替えた。



「それより。君は自分のことを気にすべきだ」


「……分かってるわよ、そんなこと」


「国は、不老不死の個体を大量生産して貿易の対象にするつもりだよ」


「……」


「そんなことになれば、世界情勢は一気に変わるかもしれない。不老不死の個体が兵器として使われる可能性もある」



不老不死という存在の使い道。


ろくなものじゃないだろうとは思っていた。



私がもし解毒剤を見つけて、不老不死でなくなったとしたら…研究は中止されるのだろうか。


いや…たとえ私が普通の人間に戻っても、人間が不老不死になることができたという事実は消えない。


研究はそのまま続けられ、更なる犠牲者が出るかもしれない。
――でも、そんなことは私に関係ない。


全ては暗部の人間がやっていることだ。


他人の心配をするような余裕はない。



普通の体に戻ったら…残りの人生は、スパイとして働いた分の金で自由に過ごしてやる。


私を実験動物として扱った研究者達を馬鹿にできるくらいに。




「今度、昔使われていた研究所に案内するよ。前にデートの約束をしてただろ?」


唐突にそんなことを言われ、ジャックの方を見た。


何という事はないという風な表情で缶コーヒーを飲んでいる。



「…行けるなら行きたいけど、日本に行くならそれなりの準備しなきゃ…」


「いや、日本の研究所の話をしてるんじゃない。この国にある研究所さ」


「え?」


「日本とこの国、両国で協力して研究を進めてる。この国にもいくつか研究所があるんだよ。気付かなかっただろうけど、君は研究対象だった時何度かこの国に来てる」
何度か移動させられたし、研究所がいくつもあることは知っていた。


でも、まさかこの国にまであるなんて…。



「もう殆ど何も残ってないだろうけど、何か見つかるかもしれないし…気が向いたらまた案内させてくれ」


「……貴方、一体何が目的なの?研究に関わってるくせに、私を助けるような言い方するのね」



私の問いに、ジャックが口を開きかけた――その時。


ドンッと玄関の方からドアを蹴るような音がした。


ジャックはクスリと笑って立ち上がり、部屋を出て行く。


……もう来たのか。
玄関のドアの開く音がした後、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「やぁ、早いね。ところでインターホンって知ってる?」


「知らなぁい。ムシャクシャしてたから蹴った」



だらしないその声が徐々にこの部屋に近付いてくる。



「はは、俺がアリスを3日間独り占めしたから機嫌悪いんだ?」


「よく分かってんねぇ。まぁ、俺はこれからずっとアリスといるから良いんだけどぉ」



部屋のドアが、開く。



そこには、肩出しトップスを着たシャロン。



「あれ、髪切ったぁ?」



いつも通りの調子の声音に、何故か泣きそうになった。


悔しさ?悲しみ?謝意?よく分からない感情がぶわっと溢れてきて。



「懐かしいなぁ、アリスが黒髪って。出会った頃みたい」


「…そうね」


「んじゃ、帰ろ。他のメンバーもアリスと会えるの待ってるよぉ?」



そう言って、自分の帽子を私に深く被せる。


私の失敗についてはまだ一言も触れない。
気まずい思いをしながらも、ジャックの方を向く。


「…3日間ありがとう」


そう告げ、シャロンと共に去ろうとした時。



「アリス、拳銃は返してもらわないと困るな。この家の物がなくなると俺が怪しまれるからね」


……こいつ、私が盗んだの知ってたのね。


何もかもお見通しのようで腹が立つけれど、大人しく隠し持っていた拳銃を返した。



それと同時に、ジャックの唇が私の頬に触れて。


「Salut.」


発音の良いフランス語が聞けたかと思うと、後ろから一気に引っ張られる。



「ちょっと…何してんのぉ?」


「挨拶だよ、シャロン君」



次の瞬間、ジャックはチュッと音を立ててシャロンの頬にもキスをした。


シャロンは思いっきり顔を顰め、頬を手でゴシゴシ擦りながら私の手を引っ張って早足で歩き出す。


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