マイナスの矛盾定義
でも…何だかベルちゃんのことだけは信じられない。
ラスティ君が、ベルちゃんは春が殺された日に殺されたと言っていた。


クリミナルズとリバディーが戦っていたあの場に、ベルちゃんとラスティ君もいたのだろう。


シャロンがそんなことをしたのなら、私がシャロンと初めて会う前か私が撃たれて死んだ後ということになる。


少なくとも、私はシャロンが幼い女の子を苦しめているところなんて見ていない。



それに…本当にしていたとしても、あの状況でわざわざそんなことをした理由が分からない。


ただ邪魔をしてくる敵組織の人間というだけなら苦しめる必要はないし、シャロンなら一発で仕留められるはずだ。


そんなことをしている暇があるなら寧ろ逃げた方が怪我人を増やさず済むだろうし。



…とはいえ殺していないという証拠もない。


うーん…事実は分かんないわね。


シャロンにも聞きづらいし。



自然に出た溜め息。


そんな私の足下でくるくる回るヤモ。


『オイ、アリス!ボスが診察してるうちにバズのとこに挨拶しに行こうゼ!』
バズ先生――日本生まれのハーフで、私に色々な知識を与えてくれる教師的存在だ。


主な仕事は暗号解読。


私がこの組織に来た頃から、歴史や化学、物理数学…それから世界情勢まで、丁寧に教えてくれた。


科学者の血を引いている所為か、私は物理学の類になかなか興味があって。


私とバズ先生とシャロンで一緒にいることも多かった。


ヤモにとってはたまに餌を与えてくれる存在でもある。



「そうね…私たちがいても邪魔になるだろうし。少し挨拶しに行って、また戻ってくるわ。お大事にね」



私がそう言うと、女の子はコクリと頷いた。


この組織は比較的子供が多い。


行き場のない孤児を保護するという、この組織ができた当初の活動は今でも受け継がれている。




この組織は、子供達にとっても、犯罪者達にとっても…普通の生活ができない人々にとって、大切な居場所なのだ。
―――ヤモと一緒にバズ先生の部屋の前にやってきた私は、ドアをノックして返事を待つ。



「誰?」


中から疲れの混じった声がしてきた。



「アリスよ。帰ってきたの」


『オレもいるゾ!』


「…ん、いいよ。入って」



ドアを開けると、相変わらずの片付けられていない部屋。


ギリギリ足の踏み場があるという程度だ。



その奥の木製の椅子に座っているのは、落ち着いた雰囲気を醸し出す、髭の似合う男。


全く整えられていないボサボサの黒髪が、彼のだらしなさを表している。



「…バズ先生、ちょっとは部屋を片付けたらどうなの」



私は散らかった書物を見下ろしながらそう言った。
「…3日くらい前にキャシーが片付けてくれたし、いいかなって」


「3日でこれって…」



キャシーも大変ね、いくら片付けても散らかされるなんて。



「ヤモ君、そこに餌入ってるよ」


『ウオっマジか!ありがとナ!』


バズ先生の言葉に、ちゃっかり瓶に入った餌の所へ走るヤモ。


餌というのはヤモリとしての餌で、特に珍しくもない虫だ。


いくら人間の知能を持っていても、ヤモリが人間の食べ物を主食にするというのは異様な光景だし、ヤモ自身が満足しているならそれでいいと思う。


いつも自分で虫を捕まえるヤモだけど、先生の所へ来ればお手軽に食べることができるのだ。



因みにバズ先生のバズというのは本名じゃない。


バズ先生の本名は本人も知らない。


この組織に入ったのは幼い頃だった為、それ以前の自分のことはあまり覚えてないらしい。


年齢も大体25歳くらいかな、という程度でハッキリしない。
「バズ先生、挨拶がてらにちょっとお願いがあって来たんだけど…」



私はバズ先生に向かって、話を切り出した。


ジャックに出会ってからずっと考えていたことを伝える。



「語学の勉強がしたいの。レベルとしては、会話ができるくらいに。これから本格的にあの研究の手掛かりを探すつもりだし…その為には、色々な人と直接話さなくちゃ駄目だと思うのよ」



何もジャックレベルほど語学に堪能な人間になろうとしているわけではない。


ただ、あの研究に関わる重要人物を探すにはできるだけ情報が必要なはずだ。


この国の内部だけでも、公用語以外に様々な言葉を話す人々がいる。


使える言語を増やしておいて損はない。




バズ先生は持っていた書物を机の上に置きこちらを向いた。



「んー…そうだね。ちょうどキャシーにもそんな感じのことを頼まれてたところだし、ボクでいいなら2人一緒に教えるよ」



…キャシーも?一緒に勉強するとなると、何かと五月蠅そうだけど…。


まぁ、教えてもらえるだけでも有り難いと思おう。



『なら、オレもやるゾ!』



音声が口から発せられているわけではないから、食べながらいくらでも喋ることのできるヤモも話に乗ってくる。
ヤモは大体の言語分かるんじゃないの?色んな国で盗み聞きして情報集めてるくらいだし。


元々、人間の知能を埋め込まれると同時に言語能力も十分に備えられているはずだ。




「…貴方、暇なだけでしょ」


『失礼ナッ!元々インプットされてる言語情報が古くなってきてんだ。新しい情報に更新したいと思ってたトコ。言葉も変化するしナ』



ついでに餌も貰えるしね?と心の中で意地悪に呟いておく。


ヤモも一緒となると騒がしさが倍になるんじゃないかしら。




「ボクはまだしたいことがあるし今からは無理だけど…夜になったらリーダーの部屋に集合しようか。先にお風呂に入っておいて、勉強してからすぐ寝るのがいいと思うよ」



そう言って、バズ先生はまた書物を手に取った。




わざわざシャロンの部屋で勉強をするのは、私がいる場合いつものことだ。


仕事とは別に、自分の知らない場所で他の人間が私の時間を独占することをシャロンは嫌う。


バズ先生から何か教えてもらう時はいつもシャロンの部屋でなくてはならない。


…というかまず、バズ先生の散らかった部屋では広々と勉強できない。



シャロンの部屋は広いし、みんなで勉強するには最適な場所だ。
―――
――――――




夜。自室にあるお風呂に入ってからすぐシャロンの部屋へ。


部屋の前で立ち止まり、コンコンコンコンと4回ノックする。


シャロンの部屋の場合、入る前は大抵4回ノックだ。それで私だと分かる。



「…いいよぉ」


いつもより怠そうな声音での返事。


何かあったのかしら?と思いながらドアを開けると。



「Guten Abend.」


「………」


発音の良いドイツ語で挨拶?された。


テーブルを挟んでシャロンの正面に座っているのは、ブラックブルーの無造作な髪と青色の瞳を持つ青年――ジャックだ。


何で貴方がここにいるのよ…ここ、一応クリミナルズの滞在地なんですけど?




「これからはたまに遊びに来ようかと思ってさ」



爽やかな笑顔でそんなことを言われ、微妙な気分になる。


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