マイナスの矛盾定義
「親は俺達に他国の人々との繋がりを与えようとしたんじゃなく、ただ通訳の道具として売る予定だったみたいだし…文化を教える必要はないと思ったんじゃないかな。そもそも、俺達をたった数年間育ててくれた人間が本当の親であるかも分からないんだ。俺としても、そんなことには今も昔も興味がないけどね」



言葉通り、至極どうでも良さそうに話すジャック。


俺達…ってことは、ブラッドさんやニーナちゃんもある程度外国語が話せるのかしら。



箸を持つ私の手を見て真似をしながら、ジャックはポツリと言う。


「ただ――…俺とブラッドとニーナは、その親とやらのせいで普通とは少し違う道を歩んだと言えるかな」



私はジャックを見返し話の続きを求めた。


貴方の話が聞きたいと言ったのを覚えていてくれたのだろうか。


その視線を特に嫌がることもなく、ジャックは続ける。



「何が普通で何が異常なのかも、常識も非常識も分からなかった。いつの間にか親だと思っていた人物は家に帰ってこなくなって、代わりに見知らぬ人間が俺達の家に入り浸るようになった」



空中でお箸を開けたり閉じたりして使い方のコツを探るようにしながら。



「毎日毎日危ない仕事をさせられたね。同じことの繰り返しだった。それが当たり前だったんだよ。俺達を働かせる人間がどんな人物なのかも知らなかった」
部屋には、クーラーの音とジャックの声だけ。



「俺達が失敗すると、数年間同じ場所に閉じ込めて働かされた。機械になった気分だったね。ただ動くだけの機械。感情も欲望も全て抑え込んで、動くだけの機械」



私は自分が無意識に手を止めてしまっていたことに気付き、ハッとして冷や麦の方に目を向けた。



「同じ場所にいても俺達の間に会話なんてものはなかった。ブラッドもニーナも、酷く冷たい眼をするようになっていたよ。俺もだったのかもしれない。仕事場には汚染した空気が頻繁に漂って、体調を崩すことだってよくあった。…それでも俺達に助け合いなんて概念はなかった。元々他人みたいなもんだったのさ」



冷たい眼――そう言われて第一に思い出すのはブラッドさん。


彼の瞳はいつだってどこか冷たく、無機質な感じがした。



「そんな毎日を繰り返した数年後、大柄の男が俺達の元へやってきた。見たことのない人物だった。最初に連れて行かれたのはニーナだったよ。ニーナは汚れた身体のまま、何年も仕事をした場所から去っていった」



また動きを止めてしまいそうになる。


でも、私が深刻そうな表情をしていればジャックは直ぐにでも話を止めてしまいそうな気がして、できるだけ何でもない顔をして冷や麦に手を付けた。
「暫くして、残った俺達も手枷を付けられて大きな船に詰め込まれた。中には見知らぬ人間が何人も入れられていた。鳴き声や呻き声が聞こえた。…その船の中にニーナの姿はなかった」



……繋がった。


売春婦だった…ってことは、この時ニーナちゃんは既にそういう店に売られた後だったのかもしれない。



「時間が経つにつれて時間の感覚が分からなくなって、何もかもが億劫になった。考えることすらも。――俺達が奴隷貿易で他国に輸出されたのだということが分かったのは、船から出た時、近くに立っていた小綺麗な服を着た男が、俺達を見て“奴隷”と呼んだ時だったよ」



私にとってはあまりに現実味の無い話で、なかなか想像できない。


でも彼らがこんな経験をしたのは事実。



「小さい頃から親に他国の言葉を教えてもらっていたおかげで意味を理解できた。皮肉なもんだろ?」



ハッと誰に対するものか分からない嘲笑を漏らした後、ジャックは冷や麦に手を付け始める。


慣れないながらもお箸を使って頑張っているみたいだ。


どうやらこれで話を終わらせるつもりらしい。
……でも、私にはまだ知りたいことがある。



「貴方達を飼っていたっていう女性については触れないのね」



ポツリとそう言えば、ジャックは目元だけを笑わせて、



「今君に話せることはこれくらいかな。…ところで、君を研究所に連れて行くって話だけど」


あからさまに話を変えてきた。



「俺もなかなかゆっくり時間取れる日がないから、早くても来月になる。君1人で行けそうな場所も他にいくつかあるし、場所を教えておくよ。一応少しだけ研究に使われていた場所だしね。まぁ、大した収穫はないだろうけど」



携帯を取り出し、慣れた手付きで操作するジャック。


隣でずっと興味なさげにしていたシャロンのポケットから音がした。



「研究所の位置はそのメールに添付してあるよ」


「…へぇ、俺のことよく分かってんねぇ」


「まぁね。どうせこの子の行き場所把握しないと気が済まないんだろ?」


「そりゃそうでしょお?俺の犬が勝手にふらふらどっか行ったら困るしぃ」


「心配性なんだ?可愛いね」


「………」



さらりとそんなことを言うジャックと、嫌そうな顔をして黙り込むシャロン。


なかなか面白い。……私を犬扱いしている報いよ。



密かに笑い、私は冷や麦をまたチュルッと啜った。
―――
――――――




日が沈みかけてきた頃。



「夕涼みでもしなぁい?」



シャロンが突然後ろからもたれ掛かってきてそんなことを言い出す。


ジャックが帰ってからずっと勉強している私に、彼は少々お冠。


その証拠にわざと重くのし掛かってくる。



「最近やたら暑いしぃ、昼間の外はやなんだもん」


「…まぁ、私もそろそろ疲れてきたし…息抜きとしてはいいかもしれないわね」



それにそろそろ構ってやらないと何かされそうだし。



私はヘッドフォンを外し、パソコンで再生していた他国の人々の会話を止めた。


私が応じたことで少し満足したのか、ふふーんふーんふんとよく分からない鼻歌を歌いながら私の腕を引っ張るシャロン。


…ハイハイ、そんなに引っ張らなくても行くわよ。
下に降りると、見知ったメンバー達が外でスイカ割りをしていた。


この時間帯は昼間と比べて少しだけ風が涼しい。


夕焼け色に染まった空が広がっている。


何となくアランと見た朝日を思い出した。


あの朝日も綺麗だったけど、この夕日も綺麗。



私たちは長椅子に腰を下ろし、スイカ割りをしている子供達を眺めた。



と、そこで。


「リーダーも食べる?」


1人の女の子が、こちらへ割ったスイカを持ってくる。



この子は確か…前に頭が痛いと言ってシャロンに診てもらっていた子だ。



「ん、ありがとねぇ」



シャロンはにっこりと女の子の頭を撫で、そのスイカを受け取った。


女の子はポッと頬を赤く染め、「リ、リーダーだけ…だよ」と言って小走りで他の子達の元へ戻って行く。


ふーん…女の子は色々と早いのね。
チラリと横目にシャロンを見ると、先程あの女の子に見せた物とはまた別の笑顔をにやりと向けられて。



「妬いたぁ?」


「…あんな可愛い子にスイカを貰える貴方が羨ましいとは思うわ」


「そーじゃなくてさぁ」


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