シノミヤ楽器店のひととき
奏音さんの誕生日
それからシノミヤ楽器店に何度か通った私は今、熱心にケーキ作りをしている。
理由はもちろん、明日21歳の誕生日を迎える奏音さんにプレゼントするためだ。何度かケーキは作ったことがあるけれど、久しぶりなので失敗しないか心配だ。
いつも奏音さんにお世話になってばかりで何も返せていないので、今回はいつものお礼も兼ねた絶好のチャンスだ。
生クリームを泡立たせながら、私はケーキを見て喜ぶ奏音さんの優しい笑顔を思い浮かべた。
無事にケーキも完成した当日、私はシノミヤ楽器店を訪れた。
扉を開けてすぐ、
「奏音さん、お誕生日おめでとうございます!これ、お祝いのケーキです!」
そう言ってケーキを差し出す。ぱっと顔を綻ばせた奏音さんは、
「本当にケーキ持ってきてくれたの⁈ありがとう!早速開けてもいい⁇」
そう言ってケーキを取り出した。
「え、もしかしてこれ手作り?めっちゃすごい、お店のみたい‼」
いつになく奏音さんが子どもみたいにはしゃいでいる。
そんなに喜んでくれるなら、毎回何かしらの手作りスイーツを、お礼として持って行ってもいいかもしれない。そう考えた私は、
「あの、よければ次からは毎回、スイーツ持ってきましょうか?私の手作りでよかったらですけど」
と奏音さんに提案した。ケーキを頬張っていた奏音さんは、目を輝かせながらも、
「え、いいの?嬉しい!いやでも、毎回はさすがに優波ちゃんの負担になっちゃうよ」
と困った顔をした。それでもお礼のチャンスが欲しかった私は、
「いえ、全然大丈夫です!私、奏音さんにお世話になってばかりで何もお返しできてなかったので、それくらいさせてください。お菓子作りは結構得意なんです!」
そう言って半ば無理やり、毎回手作りスイーツ持参の約束を取り付けた。
ケーキを食べ終わって後片付けをしていたとき、キィッと音を立てて店の扉が開いた。
あれ、と思い店の入り口に目をやると、そこには大きな荷物を抱えた、品の良い老紳士が立っていたのだ。
「こんにちは。おや、奏音くんじゃないか。久しぶりだね。義三さんはいるかい?チェロの修理を頼みたくてね」
「ああ、松島さん。本当にお久しぶりですね。祖父は今店にはいないんですよ。後で渡すので、お預かりしますね」
店に来た方は、昔からの常連さんみたいだ。
「そうかい、義三さんはいないのか…残念だな。久しぶりに会えると思ったんだけど」
「申し訳ないです。水曜は通院の日なので、僕が店番なんですよ。それ以外の日は祖父もいるので、受け取りの日に会えるといいですね」
「そうか、通院ねえ…私たちもすっかり年を取ってしまったものだよ。家内もね、この間軽く転んだだけで足を骨折してしまってね」
「そうですか…あんなに元気でいらしたのに…」
「そりゃ奏音くんもこんなに立派になってしまうよなあ、昔はよく店の中を走り回って義三さんに怒られてばかりだったのに」
「はは、あの頃の話は…本当にお恥ずかしい限りです」
「そういえば、そこのお嬢さんは誰かな?奏音くんの恋人かい?」
松島さんは私に向かってそういった。そんな、とんでもない、と間違いを否定しようとあわあわしていると、
「いえ、彼女は最近週一回ヴァイオリンを習いに来てくれる常連さんですよ」
と奏音さんがさらりと答えた。
「へぇ、この店にもまだ若い子が来てるんだね。それはよかった。そうだ、これなんだけど」
そう言って、松島さんは財布から美術館のチケットを二枚、取り出した。
「本当は家内と二人で行く予定だったんだけどね、期間内には足が治りそうもないから、これ、もらってくれるかい?妻が楽しみにしていたものだから、私が一人で行く気にもならなくてね」
「そうですか。折角楽しみにされていたのに、残念ですね…。では、ありがたく受け取らせていただきます。奥さんの分まで、楽しんできますよ」
「そうかい、それはよかったよ。もう処分しようと思っていたところだったからね。それじゃあ、修理が終わるころにまた来るよ」
「はい、修理が終わったら、ご連絡させていただきますね。またいつでもお待ちしております」
「ありがとう、義三さんによろしく伝えてくれ」
松島さんはそう言うと、店を後にした。
「長いお付き合いの常連さんなんですね」
「うん。40年くらい前から来ていただいてるみたい。お父さんが産まれたころも知ってる人だよ。いまだに来ていただけるなんて、嬉しいなあ。最近来てくれるようになった優波ちゃんもそうだけど、やっぱり久しぶりの常連さんに会えると嬉しいね」
奏音さんはそう言って、手元のチケットに目を落とした。
「優波ちゃんは、この画家知ってる?」
チケットに描かれていたのは、絵についてあまり詳しくない私でも知っている、有名な画家の絵画だった。
「はい、教科書にも載るくらい有名なので知ってますよ。私は結構、この画家さんの画風好きです」
「そっか、じゃあ一緒に行こう?」
思わぬ提案に驚いた私は、
「え、いいんですか?誰か他に、おじいちゃんとか、彼女さんとか、行く人いないんですか?」
と答えてしまった。奏音さんはちょっと困ったような顔をして、
「おじいちゃんは楽器と音楽以外に興味ないし、僕は今お付き合いしてる人もいないから…。優波ちゃんがよければ一緒に行きたいな」
ともう一度私を誘ってくれた。
「そういうことなら、私もぜひ一緒に行きたいです!楽しみですね」
「うん。じゃあ日程は追々決めようか。今日はもう遅いし、レッスンはなしにしよう」
「そうですね。今日も楽しかったです。ありがとうございました」
家に帰って、美術館のことを考える。初めて、お店の外で奏音さんに会えるんだ。どうしよう、すごく楽しみ…。何を着ていこうかな…?
いろいろ考えて、今日の会話を思い出す。
奏音さん、彼女いないんだ…
あのとき、少しほっとしてしまった自分に驚いた。
そっか、私、奏音さんのこと好きなんだ。
奏音さんに対する自分の感情に初めて気づいてしまい、次からどんな顔をして会えばいいのかわからなくなってしまった。
理由はもちろん、明日21歳の誕生日を迎える奏音さんにプレゼントするためだ。何度かケーキは作ったことがあるけれど、久しぶりなので失敗しないか心配だ。
いつも奏音さんにお世話になってばかりで何も返せていないので、今回はいつものお礼も兼ねた絶好のチャンスだ。
生クリームを泡立たせながら、私はケーキを見て喜ぶ奏音さんの優しい笑顔を思い浮かべた。
無事にケーキも完成した当日、私はシノミヤ楽器店を訪れた。
扉を開けてすぐ、
「奏音さん、お誕生日おめでとうございます!これ、お祝いのケーキです!」
そう言ってケーキを差し出す。ぱっと顔を綻ばせた奏音さんは、
「本当にケーキ持ってきてくれたの⁈ありがとう!早速開けてもいい⁇」
そう言ってケーキを取り出した。
「え、もしかしてこれ手作り?めっちゃすごい、お店のみたい‼」
いつになく奏音さんが子どもみたいにはしゃいでいる。
そんなに喜んでくれるなら、毎回何かしらの手作りスイーツを、お礼として持って行ってもいいかもしれない。そう考えた私は、
「あの、よければ次からは毎回、スイーツ持ってきましょうか?私の手作りでよかったらですけど」
と奏音さんに提案した。ケーキを頬張っていた奏音さんは、目を輝かせながらも、
「え、いいの?嬉しい!いやでも、毎回はさすがに優波ちゃんの負担になっちゃうよ」
と困った顔をした。それでもお礼のチャンスが欲しかった私は、
「いえ、全然大丈夫です!私、奏音さんにお世話になってばかりで何もお返しできてなかったので、それくらいさせてください。お菓子作りは結構得意なんです!」
そう言って半ば無理やり、毎回手作りスイーツ持参の約束を取り付けた。
ケーキを食べ終わって後片付けをしていたとき、キィッと音を立てて店の扉が開いた。
あれ、と思い店の入り口に目をやると、そこには大きな荷物を抱えた、品の良い老紳士が立っていたのだ。
「こんにちは。おや、奏音くんじゃないか。久しぶりだね。義三さんはいるかい?チェロの修理を頼みたくてね」
「ああ、松島さん。本当にお久しぶりですね。祖父は今店にはいないんですよ。後で渡すので、お預かりしますね」
店に来た方は、昔からの常連さんみたいだ。
「そうかい、義三さんはいないのか…残念だな。久しぶりに会えると思ったんだけど」
「申し訳ないです。水曜は通院の日なので、僕が店番なんですよ。それ以外の日は祖父もいるので、受け取りの日に会えるといいですね」
「そうか、通院ねえ…私たちもすっかり年を取ってしまったものだよ。家内もね、この間軽く転んだだけで足を骨折してしまってね」
「そうですか…あんなに元気でいらしたのに…」
「そりゃ奏音くんもこんなに立派になってしまうよなあ、昔はよく店の中を走り回って義三さんに怒られてばかりだったのに」
「はは、あの頃の話は…本当にお恥ずかしい限りです」
「そういえば、そこのお嬢さんは誰かな?奏音くんの恋人かい?」
松島さんは私に向かってそういった。そんな、とんでもない、と間違いを否定しようとあわあわしていると、
「いえ、彼女は最近週一回ヴァイオリンを習いに来てくれる常連さんですよ」
と奏音さんがさらりと答えた。
「へぇ、この店にもまだ若い子が来てるんだね。それはよかった。そうだ、これなんだけど」
そう言って、松島さんは財布から美術館のチケットを二枚、取り出した。
「本当は家内と二人で行く予定だったんだけどね、期間内には足が治りそうもないから、これ、もらってくれるかい?妻が楽しみにしていたものだから、私が一人で行く気にもならなくてね」
「そうですか。折角楽しみにされていたのに、残念ですね…。では、ありがたく受け取らせていただきます。奥さんの分まで、楽しんできますよ」
「そうかい、それはよかったよ。もう処分しようと思っていたところだったからね。それじゃあ、修理が終わるころにまた来るよ」
「はい、修理が終わったら、ご連絡させていただきますね。またいつでもお待ちしております」
「ありがとう、義三さんによろしく伝えてくれ」
松島さんはそう言うと、店を後にした。
「長いお付き合いの常連さんなんですね」
「うん。40年くらい前から来ていただいてるみたい。お父さんが産まれたころも知ってる人だよ。いまだに来ていただけるなんて、嬉しいなあ。最近来てくれるようになった優波ちゃんもそうだけど、やっぱり久しぶりの常連さんに会えると嬉しいね」
奏音さんはそう言って、手元のチケットに目を落とした。
「優波ちゃんは、この画家知ってる?」
チケットに描かれていたのは、絵についてあまり詳しくない私でも知っている、有名な画家の絵画だった。
「はい、教科書にも載るくらい有名なので知ってますよ。私は結構、この画家さんの画風好きです」
「そっか、じゃあ一緒に行こう?」
思わぬ提案に驚いた私は、
「え、いいんですか?誰か他に、おじいちゃんとか、彼女さんとか、行く人いないんですか?」
と答えてしまった。奏音さんはちょっと困ったような顔をして、
「おじいちゃんは楽器と音楽以外に興味ないし、僕は今お付き合いしてる人もいないから…。優波ちゃんがよければ一緒に行きたいな」
ともう一度私を誘ってくれた。
「そういうことなら、私もぜひ一緒に行きたいです!楽しみですね」
「うん。じゃあ日程は追々決めようか。今日はもう遅いし、レッスンはなしにしよう」
「そうですね。今日も楽しかったです。ありがとうございました」
家に帰って、美術館のことを考える。初めて、お店の外で奏音さんに会えるんだ。どうしよう、すごく楽しみ…。何を着ていこうかな…?
いろいろ考えて、今日の会話を思い出す。
奏音さん、彼女いないんだ…
あのとき、少しほっとしてしまった自分に驚いた。
そっか、私、奏音さんのこと好きなんだ。
奏音さんに対する自分の感情に初めて気づいてしまい、次からどんな顔をして会えばいいのかわからなくなってしまった。