鉄壁の女は清く正しく働きたい!なのに、敏腕社長が仕事中も溺愛してきます【試し読み】
買収となれば管理部門の忙しさはどれくらいになるのか、想像しただけで疲れてしまった。だから時間を無駄にしたくない、というのが本音だ。
「なるほどね」
軽い返事があった。どういうつもりかはわからないけれど、触らぬ神に祟りなし。当たり障りのない態度でどうにか社長室まで送り届けたい。
そう思っているけれど、相手から話かけられたら無視するわけにはいかない。
私があまり話をしたくないとわかっていそうなのに、わざと話しかけてきているように思える。
「君は買収についてどう思っているんだ?」
「変化の時だと思っています。お客様にご迷惑が掛からないように努めたいと思います」
あたりさわりのなさでいえば百点の回答だ。でも彼は気に入らなかったらしい。
「優等生の発言だな」
嫌味だとわかっているけれど、表情は変えない。
「ありがとうございます」
お礼を言ってすませた。できるだけ関わらないに越したことはない。
あと数歩で社長室というところで、前から男性が速足で歩いてきた。
「御陵常務、いったいどちらにいらしたんですか?」
「悪かった。ちょっと迷子になったんだ。こちらの方に案内してもらって助かったよ」
どうやら彼の秘書と無事合流できたようだ。その先にいるのは社長だ。
自分の役目が終わってほっとした。
「では、失礼します」
軽く頭を下げてその場を辞する。
「待って、君名前は」
できれば言いたくない。だがここで拒否できる立場ではない。
「経理課の鳴滝です」
「そう、覚えておく。ありがとう」
できればすぐに忘れてほしいが、口が裂けてもそんなこと言えない。普通の人ならば覚えがめでたいのはいいことだろうが、私は今の状況が一番いいのだ。出世などは望んでいない。
もう一度頭を下げてから、その場を後にした。
「戻りました」
「おかえりなさい」
画面とにらめっこしつつ、四条さんが返事をくれる。さっきまでは落ち着きなさそうにしていたのに、今はすっかりいつも通りの集中力を見せている。本当にこの切り替えの速さは見習いたい。
私は見かけはダメージないように見せて、その実心の中では引きずるタイプだ。四条さんのようなさっぱりした性格に憧れる。
「今出川課長、依頼された資料をお持ちしました。それとおそらく関連するこちらの資料も必要かと思いましたので持ってきています。不必要ならおっしゃってください」
両手に抱えていたバインダーを課長のデスクに置いた。
「いやいや、あの魔窟からこの短時間ですごいね。鳴滝さんの記憶力はやっぱり半端じゃないよ」
憂鬱な寄り道をしなければもっと早く帰ってこられたのだが。あえてその話をするつもりはない。四条さんの集中を途切れさせたくないからだ。この話を聞けばきっと彼女は興味津々になるだろうから。
「いえ、お役に立てて光栄です」
多くを語らずに、私は今日の仕事を仕上げるべくパソコンの画面に向かった。