耽美なる箱庭
聞きなれない人を殴る音。
混乱したまま、起き上がって辺りを見渡すと、こわい顔をした千佳くんが男に馬乗りになって、何度も拳を振りかざしていた。
「ちか、くん……」
震える指先を伸ばして、名前を呼ぶ。
わたしのせいで、千佳くんがだれかを傷つけるのが嫌だった。わたしのことで、悲しませたくなかった。
そんな男、どうでもいいから殴らないで。
名前を呼べば、ぜったいにわたしの声を拾う千佳くんが、慌てて駆け寄ってきて頬に手を当ててくれた。
「のの、ののっ! 俺のせいだ、ごめん。もっとはやく迎えに行けば……怖い思いなんか……」
「ううん、ちかくんのせいじゃ……」
くすんだ鼠色の廃ビルの中。
らしくもなく取り乱した千佳くんが、わたしを腕の中に入れて抱きしめる。
きっと、お互いの体温を感じて、助かったって油断しすぎたんだ──。
「ののっ!」
「う、わ……!」
なにかに気づいた千佳くんが、わたしを庇うように頭を守る。
隙間からみえた景色は、男がナイフを振り上げる姿。
「……いっ、てぇ……」
ぽたり、鮮血が地面に斑点を残した。
それからの記憶は、あまりない。