あの子は魔女

2.はじまり



 一日の授業が終わると、皆帰りの準備をはじめ、部活に向かう生徒や寄り道の相談をする生徒で賑わい出す。残念ながら帰宅部であり寄り道する友達もいない茜は一人帰り支度をし、リュックを背負った。
 生徒たちの間を抜け、昇降口を出て、人気の無い中庭を突っ切ろうとした時だった。
 茜は、何故だか、昨日の放課後のことを思い出し、小さく「あっ」と声を上げた。
 そういえば、昨日のあれは何だったのか。
 昨日のあれ、とは茜に絡んできた女子たちの体から立ち昇っていた紫色の煙のことだ。
 夕方の時点では見間違いかとも思ったが、ふと、昨夜寝る前になって、もしや眼の病気の前兆とか?と気になったものの、そのまま寝てしまった。
 とりあえず、と自身の携帯端末を取り出して、茜は検索してみることにした。
 なんてワードで検索しようか首を捻っていた時だった。
 
 ばしゃあ!という音と共に、茜の頭上から、水が降ってきた。
 
 「…は?」
 一瞬、何が起きたか分からなかった。
 視界に、雫が映る。ぽた、と髪から水滴が落ち、自身の体を見下ろせば、ずぶ濡れの制服が目に入った。
 ぎゃははは、と、上のほうから複数の笑い声が聞こえ、更には「ばーか!!」と笑いを含んだ罵声が飛んできた。
 茜がそちらを見上げれば、おそらく、バケツか何かで水をぶっかけたのであろう人物たちは、三階の窓から、さっと頭を引っ込めた。こんな真似をしておきながら、正体を隠す奥ゆかしさはあるらしい。
 さっきの、「ばーか!!」という声には聞き覚えがあった。耳の奥に、「てめぇ明日から覚悟しとけよ!」と、昨日、言い捨てて去った女子の声に似ていた。
 「…あんの野郎ども…!」
 けして大人しいタイプではない茜は、拳を震わせると、くるりと振り返り、今出たばかりの校舎に向き直る。
 まだいるはずだ。仕返しされないとでも思っているのか、ふざけるなよ。
 ずんずんと、細い足で校舎に入ろうとした時である。
 「佐藤さん!?」
 驚いたような声で、名字を呼ばれ、茜はピタッと立ち止まり、声の方に振り向いた。
 「…へ」
 「…ど、どうしたの、ずぶ濡れだけど…」
 振り向いた先にいたのは、美術で使うイーゼルを抱えた女子だった。
 茜は、彼女に見覚えがあった。確か、同じクラスの江崎理央、といったはずだ。
 「あ、いや、えーと、ちょっと水かけられちゃって…」
 「水をかけられた?ていうか、全然ちょっとじゃなくない??」
 「え、ああ、うん…」
 イーゼルを壁に立てかけて、彼女は茜に駆け寄ると、取り出したタオルハンカチで、茜の髪や顔を拭いだした。
 びっくりして、「いいよ!ハンカチ濡れちゃうよ!」と茜が身を引けば、「佐藤さんのがよっぽど濡れてるよ!」とわしゃわしゃと、ハンカチで茜の髪の水分をどうにかしようとする。
 おかげで、少しマシになった。
 「ジャージあるから貸すよ!!」
 「いや、流石にそこまでお世話になるわけには!それにもう帰るだけだし」
 久しぶりに、同級生と話しているせいか、茜は何だか緊張して、頬のあたりに熱がのぼった。
 江崎理央はそれには気がついていないようで、「いいからいいから!風邪ひいちゃうよ!」とジャージを茜に半ば強引に渡すと、ハッとした顔で腕時計を見た。
 「ごめん、私、用事あるから行くね!」
 「えっ」
 「ジャージ、今度でいいから!じゃ!!」
 そう言うと、イーゼルを抱えて、ぴゅう、と風の様に走り去っていった。
 遠のく背中を見送った後、茜は渡されたジャージを見る。
 同級生に物を借りるなんて何年ぶりだろう。いや、初めてかもしれない。
 「ちゃんと洗濯してかえそう」
 うん、と一人頷き、茜はせっかく渡されたジャージに着替えるべく、トイレに向かった。
 
   


 七月にジャージはやはり少し暑かったが、ずぶ濡れの制服よりずっと良くて、日向の香りがした。
 何より、同級生と少し話せたし、こんな気遣いまでしてもらえたことが嬉しいやら照れくさいやらで、茜は着ているジャージの裾を指先で摘んで無意味にしょりしょりといじった。
 (やさしーなー、江崎さん)
 しかも、彼女の走り去る様子を見るに、何か急ぎの用事だったに違いないのだ。
 持っていた物から察するに、美術部なのだろう。
 部活中にも関わらず、ろくでもない噂のある茜が、ずぶ濡れになっているのを見て足をとめてくれたのだ。
 (ちゃんとお礼しよう)
 何が良いだろう、お菓子とかが良いだろうか、幸い、昔教わったクッキー作りだけは得意だが、彼女が甘い物が苦手ということはあるだろうか。
 茜がそんなことを考えていた時だった。
 校門を出たところで、「あー!」と大きな声が聞こえた。
 何事かとそちらを見て、茜は固まった。
 そこには一人の少女が、なぜか茜を指差して立っていた。
 「いた!やっと会えたぁ!」
 嬉しげにそう言うと、タタタッと軽い足取りで近付いてきた彼女を、茜はてっぺんから爪先まで見る。ピンクがかったベージュの、緩いふわふわの長い髪、日焼けなど知らぬような白い肌、青い宝石のような瞳。まるで、ビスク・ドールの様な顔立ち。夏風に揺れる、生成り色の、透け感のあるワンピース。
 茜の目の前まで来ると、いきなり腕に抱き着いてきた。
 明らかに、茜と同じ高校の生徒ではない。
 だが、茜は彼女のことを知っていた。
 
 「…え、桜田ヒナキ…?モデルの…」
 「えっ!知ってるの?嬉しー!!」
 きらきらした笑顔を向けられ、茜は思わず、「まぶしっ」と言った。
 なんだ、この状況。
 近くにいた生徒たちも、有名人がいることに気付いて、少しばかり騒がしくなりつつある。
 「あら、気づかれちゃった、失敗失敗」
 「あ、あの……」
 さして困ってなさそうなヒナキは、今は茜の手をにぎにぎとしている。
 なんだ、この状況。
 なんで自分は、今をときめく美少女に、軽く手を繋がれているのだ。初対面、のはずである。
 困惑する茜と目を合わせると、彼女は微笑んだ。天使がいたらこんな顔で笑うのかもしれない。
 「ここじゃなんだから、場所かえましょう!私、良いところ知ってるの!」

 


 
 
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