このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 吐息交じりに吐き出される櫂の熱情。咲穂はビクリと肩を揺らした。緊張と高揚で瞳の奥が熱い。

(この先。想像するだけで頭が爆発しそうだけど、でも……櫂さんに抱かれてみたい)

 一度も経験などないくせに、はっきりとそう感じた。

「か、いさん。お願い……私を……」

 だが、か細く震える咲穂の声は櫂の言葉にかき消された。

「なんてな。冗談だ」

 櫂はスッと身体を離す。

「え、あ、あの……」

 決死の覚悟が空振りして、咲穂は困惑する。

(え、どうして? 私がムードを壊しちゃったのかな)

 考えてみたけれど、そもそも経験がないのでこういう場面の正解も不正解も咲穂は知らない。

「櫂さん、私は本当に……」

 抱いてほしいと、正直に伝えればよかったのかもしれない。でも、恥ずかしくてうまく言葉にできずモゴモゴと言葉をにごす。

「冗談だって言っただろ。本気にするな」

 櫂はすっかり冷めていて、さっきまでの空気は夢だったのじゃないかと思えるほど。咲穂は急に恥ずかしくなって、バッと顔を背けた。

(あれ。もしかして、求められてるなんて……私の勘違いだったの?)

 自分の欲望がおかしなフィルターとなって、彼を見ていたのだろうか。違うと思いたいけれど、自分が彼に拒まれたという事実は変えようもない。

「そろそろ帰ろうか」
「――はい」

 そう答えるしかなかった。たった今、一生分と思えるほどの勇気を振り絞ってしまったから、もうこれ以上は無理だ。

 
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