冷徹無慈悲なCEOは新妻にご執心~この度、夫婦になりました。ただし、お仕事として!~
 当時の櫂はすでに米国にいて、正直翠のことなどすっかり忘れていた。彼女は突然尋ねてきて、こう言ったのだ。

『芸術家にはね、物語が必要なのよ』

 画家が評価されるためには、作品そのものだけではなく本人の人生も重要である。というのはよく聞く話だ。狂気性が作品にすごみを与えたゴッホ、その悲劇の生涯ゆえに価値を高めたモディリアーニ、人生がわからないからこそ人々の興味をかき立てるバンクシー。彼女も、そういう〝なにか〟が欲しかった。

『若く美しい女が結婚っていう幸福を捨てて、芸術にその身を捧げるの。どう、悪くないでしょう?』

 つまり、夢のために櫂を捨てたという物語を自身の付加価値にすると決めたらしい。

『……俺にはなんのメリットもない話だな』

 呆れる櫂に彼女はどこまでも無邪気に笑った。

『でもデメリットもないわよ? あなたは私に振られた程度でモテなくなることもないでしょうし。むしろ、面倒な女避けにちょうどいいストーリーじゃない』

 翠の提案する櫂のメリットはこうだ。

『滝川商事の社長令嬢にして、これだけの美女。そんな私に振られて傷心ってことにしておけば、どんな女も尻尾をまいて逃げていくわよ』
『まぁ、たしかに』

 この頃の櫂は、はいて捨てるほどに寄ってくる玉の輿狙いの女性たちに少々うんざりしていた。

『じゃ、決まりね』

 このような経緯で、ふたりの許嫁解消は世間に公表されることになった。そのあとすぐに彼女は渡仏。櫂が協力した物語がどれだけ貢献したかは知らないが、一定の成功をおさめたようだ。

 そして、彼女のくれた策は意外と櫂の役に立ってくれた。

『許婚だった女性が忘れられないから』
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