このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 ふっと苦笑して櫂が言う。咲穂は小さく肩をすくめる。

「おっしゃるとおりです。ファッションやメイク、昔からどうも苦手分野で」

 広告代理店というと、世間的にはオシャレで華やかなイメージがあるのかもしれないが……部署や担当するクライアントによってもまったく異なるし、みんがみんなキラキラしているわけでもない。納期直前ともなると、オシャレどころか清潔を維持するだけで精いっぱいだったりもする。

「化粧品会社の人間として、それはちょっと悔しいな。――あぁ、そうだ」

 なにか思いついたようで、彼は少し楽しそうな顔を見せる。

「さっきのリップを貸してくれないか? それから鏡も」
「えっと……」

 咲穂は彼に言われるがまま、バッグのなかから新品のリップと手鏡を出す。

「あの、なにを?」

 櫂がなにを思いついたのか、咲穂にはさっぱりわからない。彼はリップを手に取りながら不敵な笑みを浮かべる。

「変身する楽しさを教えてやろう」
「え、え?」
「心配ない。悠哉には及ばないが、俺はメイクがうまい。多分、君よりずっとな」
「ま、また余計なひと言!」

 心のなかで悪態をついたはずが、うっかり口に出してしまった。だが、彼は気にも留めずに咲穂にメイクをほどこすつもりのようだ。

(み、美津谷櫂に……メイクをしてもらうって、どういう状況?)

 右手にリップを持った、櫂の美しすぎる顔面が近づく。

「あ、あの……世間に知られたら袋叩きにされそうなので、遠慮しておきたいのですが」
「大丈夫。君と俺だけの秘密にしておけばいい」
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