このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 仕事の指示を出すときとまったく同じ口ぶりで、彼は言った。咲穂はフツフツと湧きあがるイラ立ちをどうにか抑えて、冷静に返す。

「絶対に惚れませんし、そもそも恋する顔なんてしていませんから」
「そうか?」
「そうです!」

 咲穂は彼を置き去りにして、大股で歩き出した。けれど、足の長い彼にあっという間に隣に並ばれてしまう。

「俺の奥さんは怒りっぽいな」
「まだ奥さんじゃありません。それに、誰のせいだと……」
「さぁ」

 白い歯のこぼれるその笑顔は……きっと極上に甘い猛毒。触れたら最後、痛い目を見るに決まっているのだ。

 秋も深まる、十一月最初の土曜日。

 表参道駅からほど近い、ホテルライクな暮らしが叶う低層のラグジュアリーマンション。櫂がひとりで暮らしていたこの部屋が、今日から咲穂の家にもなった。

 映画館みたいな大きなテレビを咲穂はぼんやりと眺める。
 世間に婚約を発表してから一週間が経ったにもかかわらず、朝の情報番組はいまだ〝美津谷櫂結婚〟のニュースで盛りあがっている。

『ハリウッド女優とかじゃなくて、日本人の一般女性ってとこがポイント高いです~。誠実そうで、ますます美津谷さんのファンになりました~』

 彼の狙いどおり、世間は祝福ムード一色に染まった。

『お相手の女性、どんな人なんでしょうね? 羨ましすぎます! まさにシンデレラですもん』

 街灯インタビューに答える、興奮気味の女性たち。

 インタビューに答える女性が指す、『お相手の女性』は間違いなく自分のことなのだが……どこか遠い世界の出来事のように感じられた。

「――シンデレラになった心境はどうだ?」
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