このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
「そもそも、このCMは発売前ひと月だけの限定プロモーションだ。メインCMには本職のタレントを起用するつもりだし」

 結局、根負けしたのは咲穂のほう。

「はい、できました!」

 婚前契約書と婚姻届。ふたつの書類へのサインを終えた咲穂は、ドッと脱力して背もたれに身体を預けた。

(うぅ、やけに疲れたわ)

「実務はこれでおしまいですか?」

 自分とは違い、余裕たっぷりの彼に尋ねる。

「あぁ、あとは最後にひとつだけ。契約書には書いていないが重要なことだ」
「なんでしょうか?」

 彼が深刻そうな顔をするので、咲穂も姿勢を正して耳を傾ける。

「ゆうべも言ったが、俺たちの結婚はあくまでもビジネスだ。互いに恋愛感情を抱くのはよそう」

 その声は、静かな部屋に冷たく響いた。

 咲穂はパチパチと目を瞬いてから、ふっと小さく噴き出す。

「念押しされなくても、ちゃんとわかっていますから」

 そこまで、身の程知らずではないつもりだ。

(私は彼のシンデレラじゃない)

 十二時の鐘が鳴った時点できちんと終わらせる。自分と彼の物語が続くことはありえない。

「私は花嫁になりたいわけじゃありません、仕事がしたいんです!」

 きっぱりと宣言し、強気な瞳で彼を見返す。

「契約はきちんと守るので、安心してください」

 彼はどこか、楽しげに口元をほころばせた。

「期待どおりの返事だが、そう爽やかに断言されるとちょっと癪だな」
「……美津谷CEOって意外と面倒ですよね」

 冗談めかした憎まれ口を叩いて、咲穂は立ちあがる。飲み終えたティーカップを片づけるためだ。ところが、櫂の横を通りすぎるときにふいに腕をつかまれた。
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