このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 今夜は、櫂の親族との食事会なのだ。同僚から結婚を祝福される会より、さらに難易度が高い。咲穂の胸はプレッシャーに押しつぶされそうになっている。

 無情にも時は過ぎていき、午後六時の終業ベルが鳴る。咲穂は重い腰をあげて、櫂の待つ駐車場に向かった。

「おつかれ」
「おつかれさまです」
「今日は俺の車で行くから。こっち」

 言いながら、彼は当然のように咲穂の肩に腕を回す。彼の言う『手は出さない』はキスやそれ以上のことを指しているようで、こういうスキンシップは気にも留めていない様子だ。アメリカ暮らしの長かった彼にはなんでもないことなのだろう。

 だけど……咲穂にとって、異性とのこの距離は〝特別〟だ。毎度、無駄にドキドキしてしまって心臓が疲れる。

(慣れない。ちっとも慣れる気がしない!)

「櫂さんが自分で運転することもあるんですね」

 高級車の助手席に座った咲穂は、ハンドルを握る彼にそう尋ねる。櫂には専属の運転手がいて、普段はその彼が運転する黒い車なのだ。

「あぁ、これは俺のプライベート用の車」
「そうなんですね」

 たしかに、いつもの車よりスポーティーな印象だった。

「運転を言い訳に酒を断れるからな。君には申し訳ないが……今夜はきっと不愉快な思いをさせることになると思う」

 表情を曇らせ、沈んだ声で彼は言う。

「いえ、私は大丈夫ですから」

 櫂と家族――というより継母である美津谷塔子(とうこ)との溝はかなり深いようだ。櫂本人も言っていたし、社内でも……表立っては誰も口にしないが有名な話のようだった。

(義理とはいえ母親が一番の敵だなんて……)
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