このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 櫂は本当に仕事熱心で、誰よりも会社に献身している。知り合ってまだ日が浅い咲穂にも、それはわかる。だからこそ、歯がゆい気持ちになった。

「車酔いか?」

 咲穂が難しい顔をしていたからか、彼がそんなふうに声をかけてくれた。

「いえ、大丈夫です。そういえば、ゆうべ実家から電話があったんですけど」

 少しでも明るい空気にしようと、咲穂は話題を変えた。

「櫂さんの支援のおかげで、うちの酒屋もいい方向に向かいはじめているみたいです。兄が新しい商品の開発なども検討しているようで」
「そうか、よかった」

 櫂が柔らかな笑みを取り戻してくれたことが嬉しくて、咲穂はお喋りを続ける。

「あの頑固な父が『美津谷さんには感謝してもしきれない』と珍しく素直でした。母も『次は日帰りじゃなくて、ゆっくり泊まりにおいで』なんて……」

 そこまで話して、咲穂ははたと我に返った。

(いやいや、櫂さんが私の実家に泊まるわけないし)

 自分の発言のおかしさに気がついて苦笑する。

「えっと。多忙な櫂さんには難しいと、母に伝えておきますね」

 先日の結婚あいさつだって、隙間のないスケジュールに強引にねじ込んだのだ。これ以上、咲穂の実家に気を使う義理など彼にはない。

 ところが、櫂はどこか楽しそうに目を細めた。

「リベタスが無事に発売を迎えたあとは、必ず休みを取るよ。そこで行こう。君の実家の辺りは有名な温泉がいくつもあるし、楽しみだ」

 リップサービスだとわかっている。だけど、少しだけ心が浮き立つ。

「世間には知られていない、穴場もたくさんあるんですよ」
「それはいいな」
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