このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 信号で車を停めた彼がふっと頬を緩めて、咲穂を見る。

「一緒に風呂に入るのも……〝手を出す〟に該当するか?」

 咲穂の顔がボンッと火を噴いたように赤くなる。

「す、するに決まっているじゃないですか」
「それは残念だ」
「というか、発言自体がセクハラですからね」

 眉をひそめる咲穂に彼はクスクスと笑う。

「夫婦なのに?」
「夫婦でも、です!」

 櫂とはいつもこの調子、彼といると咲穂はプリプリと怒ってばかりだ。だけどいつの間にか、これが日常になりつつあった。

(慣れって恐ろしいな。あの美津谷櫂の隣にいることが自然に思えるなんて)

 食事会の場所は、皇居近くの老舗ホテルに入っている高級中華料理店。案内された個室は黒と赤を基調にしたゴージャスな内装で、中央に長方形の卓が置かれている。

 フカヒレの姿煮、ごろんと大きな北京ダック、提供される王道の中華料理はどれもこれもおいしそうだが……食事と会話を楽しめるような雰囲気はみじんもない。

(これはちょっと、想像以上だったかも)

 咲穂は瞳だけを動かして、正面に座る美津谷家の面々をうかがい見る。

 真ん中にいるのが櫂の継母である塔子。華やかなツイードのセットアップスーツをびしっと着こなしていて、上流階級の人間らしい貫禄を備えている。切れ長の目元と厚めの唇が色っぽく、五十二歳という実年齢よりもう少し若く見えた。

 ちなみに瞳の夫、つまり櫂の父親は今日は不在だ。米国本社を拠点にして世界中を飛び回っているので、日本にいるのは年に数日ほどらしい。
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