このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 自分たちはビジネス婚。目的を果たしたらお別れするのだから、親族との付き合いは浅いほうがかえって都合がいい。咲穂にとって、塔子も梨花も一生の付き合いになる人間ではない。どれだけ嫌われようとも、別に困ることもないし傷つきもしない。

(だから、私は大丈夫。でも櫂さんは……?)

 咲穂と違って、彼にとっては家族なのだ。咲穂も家族、とくに父との関係は……良好とは言いがたい。でも、父は父なりに咲穂の幸せを願ってくれていることはちゃんとわかっていた。

(お父さんは心の底から『地元で結婚』が私の幸せに繋がると思っているのよね)

 咲穂とは価値観が違うだけで、根底には愛情がある。だけど塔子は……。

 咲穂は勝手に家族関係に悩む彼の苦しみを理解できるような気になっていたが、抱えているものはきっと彼のほうがずっと重い。

「継母の家はいわゆる名家でね。それに対して、俺の実母は一般家庭の出だったから……」

『庶民の血』

 塔子が投げつけたあの言葉の意味を櫂はさらりと説明してくれる。

「家名に誇りを持つ彼女にとっては、俺が美津谷を継ぐのは我慢ならないようだ」

 なんでもないような顔をして櫂は話すけど、そんな態度をとられて傷つかないはずがない。

 ものすごく沈んだ顔をしてしまった咲穂を見て、彼は穏やかに笑む。

「君がそんな顔をする必要はない。あの人との関係性については……自分のなかでとっくに折り合いをつけているから」

 彼は大人だから、その言葉も真実ではあるのだろう。

(でも、櫂さんのこんな悲しそうな目……初めて見る)

 言葉をかけたいけれど、自分はどこまで彼の内面に踏み込む権利があるのだろう。
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