このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 櫂が連れてきてくれたのは、東京一高層の商業施設だった。

三十階と三十一階がレストランフロアになっていて、どの店舗も素晴らしい夜景が望めることがウリになっている。 

「ここのレストラン、一度来てみたいと思っていたんです。三十一階のフレンチは無理でも、三十階に入っている少しカジュアルなスペインバルなら私でも手が届くかなって」

 といっても、そのスペインバルも二十代の咲穂にはかなり贅沢な店だ。フレンチレストランのほうはワンフロアにその一店舗しか入っていなくて、紹介がないと予約できないというハイクラスレストランだった。

 エレベーターに乗ると、三十一階のボタンを押して櫂は言う。

「バルのほうがよかったか? フレンチを予約してしまったんだが……」
「え、紹介制なのに予約が取れたんですか? すごい!」

 そう言ってから、はたと気がつく。彼は美津谷櫂なのだ。

(考えるまでもなく、櫂さんが予約できないはずがなかったわ。むしろ彼がダメなら、この国で行ける人なんていなくなっちゃう)

 思っていた以上にフランクに接してくれるので、彼が世界的セレブだという事実を咲穂は時々忘れてしまうのだ。櫂はクスリと楽しそうに笑う。

「その反応はフレンチが嫌というわけではなさそうだな」
「も、もちろんです。最初で最後だと思うので、心して味わわせていただきます」

 ポーンという軽やかな音とともに、エレベーターの扉が開く。目の前も、左右も、百八十度ぐるりとガラス窓になっていて、きらめく夜景がまぶしいほどだった。

「うわぁ……」

 咲穂はすっかり言葉を失い、宝石箱のなかのような輝きにしばし見惚れていた。
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