このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 そこで咲穂はようやく、この紺色の箱に刻まれているロゴが高級ジュエリーで有名なブランドのものであると思い至る。

「まさか……」
「婚約指輪だ。もらってくれるか?」

 櫂はさらりと、とんでもないことを口にした。

「い、いやいや……この指輪って『ハレフ』のものですよね?」
「あぁ。ダイヤモンドなら、ここが一番上質だから。三カラット、大きすぎず小さすぎず、使いやすいサイズだと思う」

(どう考えても、大きすぎます!)

 心のなかでは全力で突っ込んでいたけれど、予想もしていなかった状況に現実の咲穂はぽかんと口を開けているだけだった。

「貸してみろ」

 やけに甘い声を出して、櫂は咲穂の手を取り薬指に指輪を通した。

「うん、思ったとおりよく似合うよ」

 ダイヤの輝きをより際立たせる、シンプルで洗練されたデザイン。自分の指先に、うっとりと見惚れてしまう。

(なんて素敵な指輪なんだろう)

 ふわふわ、キラキラが大好きだった少女の頃のときめきが蘇る。幼い咲穂が瞳を輝かせて「きゃ~」とはしゃいでいる。

(あの頃の気持ち、まだ残っていたんだな)

 櫂と出会ってからというもの、自分には縁がないと思っていた感情を知る機会がとても増えた。くすぐったくて、ワクワクして、でも……少し不安な、そんな気持ち。

「気に入ってくれたようだな」

 櫂のその言葉で、咲穂はハッと我に返る。

「えっと、指輪は素敵ですが! 私がもらうわけにはいきません。そんな権利はないですし」
「権利はあるだろ。ビジネス婚なんて厄介事に付き合わせる謝礼代わりだ。そもそも君がもらってくれないと、この指輪は行き場をなくす」
< 64 / 110 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop