このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
「七森さんのメイクへの情熱、そんな簡単に消えてしまうものだとは思えません。櫂さんと出会わなかったら、今よりは遠回りしたかもしれないけど……それでも、七森さんはこの道に導かれていたと、私は思います」

 彼の才能と情熱を、神さまが見放すとは考えられない。

「そうかな?」

 咲穂が「はい!」と力強くうなずくと、悠哉はどこかくすぐったそうに頬を緩めた。

「ありがとう。じゃあ僕も自惚れちゃおうかな」

 咲穂の背中に悠哉はぽつりとつぶやく。

「本当に、櫂とそっくりだな」

 けれどその声は咲穂の耳には届かなかった。
 
 悠哉との打ち合わせ内容を上司である理沙子に報告し、その日はほとんど残業をせずに帰宅した。

「ただいま~」

 明かりのついていない部屋にそう呼びかけて、咲穂は玄関ドアを開ける。櫂は多忙な人なので、たっぷり残業をして帰ったとしても大抵は咲穂のほうが早い。

 櫂とふたりで暮らすこの高級マンションはとても広く、リビングダイニングをのぞいても個室が四つもある。なので当然、彼と咲穂の部屋は別々。同居といっても、互いのプライベートはしっかり確保されていた。だけど交流がまったくないわけでもなくて……。

(ビジネス婚の響きから、家ではひと言も話さないようなドライな関係を想像していたけど――)

 櫂は意外とフランクで、顔を合わせれば他愛ない雑談もするし、夜はほぼ予定が合わないけれど朝食は一緒にテーブルを囲む日も多い。

(もっとビジネスライクなほうがよかったのかも)

 中途半端な関係性で暮らしていることを咲穂は少し後悔していた。そして、真っ暗なリビングに明かりをつけて、細く息を吐く、
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