このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 現在の時刻は業務終了のベルが鳴り終わった午後六時。あと一時間もすれば、窓の外は紫紺色に変わり、クリスマスイルミネーションが輝き出すだろう。

 子どもの頃は、夜の街の明かりが嫌いだった。みんな帰る家がある、居場所がないのは自分だけ。そう言われているような気分になったからだ。

 実母の記憶はほとんどなくて、父は仕事で顔を合わせる機会など年に数回のみ。腹違いの弟である潤のことはかわいく思っていたが、櫂が潤と親しくするのを塔子はひどく嫌がった。

『私の息子に触らないで!』
『なんなのよ、その反抗的な目は! いまいましい。どこかへ行って』

 自分がとてつもなく恵まれた環境に生まれたことは理解している。だが、幸せだったのかは……ずっとわからなかった。

 妙に感傷的になっている自分に苦笑して、櫂はPCの電源を落とした。本当はもう少し仕事を片づけてから帰るつもりだったが、なんとなく気が変わった。

(たまには早く帰ろう)

「今日はここでおろしてくれ。自宅まで少し散歩したい」

 運転手にそう頼んで、マンションより手前で櫂は車をおりた。自分の乗っていた黒い車を見送ると、櫂は不自然に停まっている後続車をにらみつけた。

 ウィーンと運転席の窓が開く。黒いキャップに黒いマスク、逃亡中の指名手配犯みたいな風貌の男が顔をのぞかせた。

「あ、やっぱ気づいてました?」

 しつこく尾行していたくせに悪びれもなく、彼はへらりと笑った。

「ずいぶんと、仕事熱心なんだな」

 おそらく、櫂と咲穂の写真を撮った記者だ。塔子の差し金で、ずっと櫂に張りついているのだろう。
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