このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 明かりのついた部屋、誰かが迎えてくれる家に帰る喜びを、櫂は生まれて初めて知った。咲穂との暮らしは、優しくて、心地よい。

「櫂さん! いつの間に帰っていたんですか?」

 自分の帰宅に驚く彼女の口元がほんの少し緩んでいる気がするのは、思いすごしだろうか。

「おかえりさない」

 彼女からのそのひと言が、たまらなく嬉しい。

 咲穂が『疲れている』と言えば、自分のことのように心配になり世話を焼きたくなる。誰よりも信頼している親友の名であっても、彼女が口にすると憎らしく思えた。

「夫としては、ほかの男をこうも全力で褒められると……複雑だ」

 つい本音がこぼれる。だが、咲穂にはまったく伝わらなかったようで。

「櫂さん。ここは自宅ですし、その……ラブラブ夫婦の演技をする必要はないのでは?」

 驚くほど男心を理解しない彼女の頓珍漢ぶりすら、かわいく見えて仕方がない。

「演技じゃない」と伝えたら、咲穂はどんな顔を見せるだろう? それを知りたい衝動に駆られたが、困らせたいわけじゃないんだと必死に自制する。

「櫂さん」

 甘やかに響く咲穂の声が櫂の心を温め、溶かしていく。

「もう一度」

 何度でも、ずっとこの声を聞いていたい。そう思っている自分に気がつく。

(あぁ、俺はやっぱり合理的な男なんだな)

 あの時点で、きっと無意識に感じ取っていたのだ。

【互いに恋愛感情を抱かないこと】

 この条項がいずれ、自分にとって不都合になることを。
 
 ◇ ◇ ◇

『法事ですか?』
『あぁ、大叔父の七回忌でね。日本の美津谷本家に親族が集まる』

 そんな会話がなされたのがちょうど一週間前のこと。
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