このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 なにを言うつもりなのか、自分でもよくわからない。だけど、たしかに伝えたい気持ちがあって……。
 彼の口からふっと優しい笑みがこぼれる。

「それ、プロポーズの言葉みたいだな」
「えっ? いや、その、決してそういう意図では……」

 ないとは言い切れなかった。

(ううん。むしろ、そういう意味だ。私がいます!って、櫂さんに言いたかったんだ)

 自分がなにを伝えたかったのか。その答えがわかってしまって、咲穂の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。注がれる櫂の視線が痛くて、咲穂は両手で顔を覆ってうつむいた。

「ご、ごめんなさい。今は……見ないでください」

 こんな顔を見られるわけにはいかない。

『俺には惚れるな』

 彼は何度もそう忠告して、咲穂は自信たっぷりに〝ありえない〟と答えていたのだ。

(なのに今さら……)

 混乱する咲穂の頭上に穏やかな声が落とされる。

「温かく迎えてくれる家庭なら、もう手に入れたつもりなんだが」
「え?」

 咲穂はゆっくり顔をあげる。

「咲穂のいる、この場所。君はいつも俺に『おかえりなさい』を言ってくれる」

 少し照れた顔で彼はクスリとする。それから、顔を覆い隠していた咲穂の両手をそっと取り払う。すごく近いところで視線がぶつかって、咲穂の心臓はキュンと切なく締めつけられた。

「俺と結婚してくれてありがとう。――君でよかった」

 その言葉はまるで優しい雨のように、咲穂の心に染み入って、潤した。

(どうしよう、私……この男性(ひと)が……)

 潤む瞳で彼を見つめれば、櫂はクスクスと笑い出す。

「咲穂。ここ、クリームがついてる」
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