このたび、夫婦になりました。ただし、お仕事として!
 自身の唇の端を指先でトントンとしながら、彼は言った。

「えぇ……ほ、本当ですか?」

 恥ずかしさで顔が熱くなる。

(あぁ、雰囲気が台無し。私ってば……)

 どうして肝心な場面でこうなってしまうのか。自分の逆恋愛体質に呆れながら、咲穂は指で口の端を拭う。

「違う、反対」

 思った以上に、彼の声が近くに聞こえた。

「――え?」

 視界いっぱいに、櫂の美しすぎる顔面が迫ってくる。キスするみたいに首をかしげて、彼はペロリと咲穂の唇の横を舐め取った。

「い、今……」

 キスとはいわないかもしれない。でも、たしかに唇同士が触れ合った。

「甘いな」

 クリームなんかよりずっと甘い声が、より一層近くで響く。鼻先がぶつかり、咲穂はビクリと肩を揺らした。

 彼の長い指がそっと咲穂の顎をすくい、ゆっくりと唇が重なる。今度はちゃんと……キスだった。

 ほわほわとした多幸感に包まれて、なにも考えられなくなる。

「すまない。契約を……守れなかった」

 熱い吐息にのせて、彼が言う。

「は、はい」

 なにに対しての『はい』なのか、自分でもよくわからない。櫂がグッと強く、咲穂の身体を抱き締めた。想像以上に逞しい胸板に包まれて、咲穂の心臓はバクバクと壊れそうに鳴っている。

「自分は理性的な人間だと思っていたが……案外そうでもなかったようだ」

 苦笑する彼の唇がもう一度近づく。かすかに香る苺とチョコがいやに官能的だ。

 今度はさっきよりも熱く、深いキス。差し入れられた舌が咲穂の口内をなぞり、熱を高めていく。

「ふっ、んん。櫂さん」
「こんな色っぽい声が出せるとは、知らなかった。もう少しだけ……聞きたい」
「――あっ」

 櫂のキスはいつまでも、いつまでも止まなかった。
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