第一幕、御三家の桜姫
けれど、次の瞬間、僅かに俯いた横顔が悲痛なものに変わったのを見て、足が止まる。
「そうやって、どいつもこいつも俺には黙って抱えこみやがって……」
きっと桐椰くんも殴られると思っていたのだろう。予想外のセリフに、虚ろな目が少しだけ光を取り戻す。
「幼馴染なんだから――親友、なんだから……少しは、頼ってくれよ……!」
松隆くんの目に映っていたのは──、一人の親友を救うことができなかったという、血を吐くような悲しみだった。
ああ、そうか。透冶くんが会計に関して悩みを抱えていたことは桐椰くんしか知らなかったとはいえ、透冶くんが死んでしまった以上――そして自殺の疑いが何より濃かった以上――松隆くんも月影くんも、透冶くんに何らかの苦悩があったこと自体は察していたのだ。もしかしたら、自殺だということを、心のどこかでは理解していたのかもしれない。だからこそ、親友のそれほどの苦悩と苦痛を何も知らず、何もできず、ただ目の前で死なせてしまった自分達を、三人は責め続けていたのだ。
|警察の捜査に納得せず、現実を諦めることができず、胸が潰れるような悲しみを抱え、それでもその胸の痛みを自分達に許さず、そのぐちゃぐちゃの感情を、ある意味一生懸命我儘に転化させることで誤魔化そうと――自分達を騙そうとしていたのだ。
だから、松隆くんの感情は怒りではない。二人と同じだ。振り上げた拳の下ろす先が分からなかったのではなく、拳を振り上げることさえできず、ただ、やるせなさを抱いていただけ。
その感情を言葉にできないことの顕れのように、しんと沈黙が落ちた。嗚咽が零れそうなほどの哀しみに顔を歪めていたのは、松隆くんだけじゃない。
「……アイツが横領して悩んでたのを、俺だけは知ってたよ」
ポツン、と静かな声が、零れた。
「アイツは……、めちゃくちゃに悩んでた。嘘の会計帳簿に署名したって。でもお前らに言わないでくれって言われて……黙ってた」
桐椰くんの胸倉を掴む松隆くんの手は力を失い、まるで桐椰くんに縋りついているかのようだった。
「……どうして、俺達に相談してくれなかったんだ。いくら頼まれたっていっても、そんなに悩んでるなら……」
「……アイツは署名したとしか言わなかったんだ」
松隆くんの目が、少しずつ見開かれる。その言葉の意味を理解した手は、遂に桐椰くんから離れた。
「……言わなかったのか、透冶は。他のヤツらに脅されてやったって」
「……あぁ」
桐椰くんが額を押さえて、その後悔の場面を思い出すように重々しく口を開く。
「会計がどうのこうのってなんだ、って聞いたんだ。何聞いても口を割らなかったんだよ、アイツは。やっと話してくれたと思ったら、嘘の帳簿に署名してたって、それだけ。自分が生徒会役員に虐められてんのには言い訳できない理由がある、だからもう庇わなくていい、って言われたんだ」
「……なんで透冶は」
「……分かんねぇよ、なんで脅されたって言わなかったのか……そもそも脅されたときに、なんで俺達に相談してくれなかったのか。ただ……、俺は」そこで桐椰くんは一度詰まって「……俺は、|透冶が何かを誤魔化したり、嘘の会計帳簿に署名したりするわけがないと思ってたから……もっと別の事情があるんだと思って、お前らにこの話はしなかった」
松隆くんが一度口を閉じた。彼がそんなことをするはずがないのは分かっている、自分だってそう思ったはずだと、そう言い聞かせるように。
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