御三家の桜姫
「でも、桜坂が殴られるのを黙って聞いてたのは悪かった。本来なら、桜坂に指一本触れさせるべきじゃなかった。その点は謝るよ」
それなのに、一切誤魔化すことなく、松隆くんは頭を下げてくれた。彼は、酷く誠実で、不誠実だ。
「ハイエナの駆除が終わったっていうのもあるけど、これからはこんなことはしない。桜坂に囮になってほしいと頼むことはあると思うけど、それは頼むという形をとる」
「……これを理由に、私が御三家に協力しないって言ったら?」
「それは困る。俺達には桜坂が必要だ」
「その割には随分な扱いじゃん。もし私が抵抗しなかったら、さっさと乱暴されちゃってたかもよ」
「黙ってやられるような、弱い女子じゃないだろ? ……幕張匠の、元カノは」
弱点を突かれたように心臓は跳ね上がり、そのまま早鐘を打ち始めた。ドクドクドクと大きくなった脈が耳元で聞こえてくる。緊張、焦燥、吃驚、全てが入り交り……、結局困惑した表情をしてしまう。
「誰……から、聞いたの、それ……」
「中学の同級生。鶴羽樹っていうんだけど、知ってる?」
知らない名前だったけれど、幕張匠の名前を知っているということはその関係の人だろう。そして幕張匠という名前自体は――懐かしいと言っても嘘ではなかったけれど、それだけでは足りないほどの意味が込められた名前だった。
「そういう反応をするってことは、幕張匠と少なくともなんらかの関係はあるんだね」
コーヒーカップをテーブルに置き、私の隣に座りながら「幕張の名前なんて、知ってるやつはそんなにいないよ?」なんて嘯く。
「彼は、ある意味都市伝説のような存在だからね」
幕張匠は、数年前に忽然と消えた、幕張グループの跡取りだ。
松隆グループと比べると大したものではないけれど、幕張グループはそれなりに大きな財閥だった。それこそ、当時は幕張グループを含めて六大財閥なんて呼ばれ方をしていた。
ただ、その幕張グループは、”人”に恵まれなかった。会長が引退を考える頃、その跡取りと目される子や孫には、揃いも揃って資質が欠けていた。なんなら、他の財閥が牛耳る会社でのポストを約束され、幕張グループを裏切った人までいた。
そんな中に現れたのが、幕張匠だった。会長の四男の長男だったけれど、四男は出来の悪さを理由に地方の子会社へ追いやられていて、幕張家の集まりに呼ばれないことも多いほど粗雑な扱いを受けていた。だから、そんな彼に長男がいるなど、誰も知らなかった。
大人相手に引かない弁舌の巧みさか、それともグループの置かれた状況への分析力か、とにかく会長は幕張匠を大いに気に入った。途端に手のひらを返し、その両親も含めて幕張匠を可愛がった。誰がどう見ても、次の跡取りは幕張匠だった。
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