ゆれて、ふれて、甘言を弄して
家が音楽家だとしても、生まれた子供が自動的にその道の才能に恵まれるとは限らない。
でも高級キュウリ農家なら、才能も何もいらない。
キュウリ農家の家に生まれた子供は自動的に、就職先も母親のお腹に着床した時点で決まるわけだ。
そんなネズミ算式に決まる就職先、ねえかなあ。
そもそも俺の父親は厳格を気取ったアルコール中毒者だし、母親はいい妻を演じるアバズレだし、兄貴らはそんなママが大好きなマザコン野郎だから必死に期待に応えようとしている姿がまるで宗教の信者みたいだ。
爺さんの名声だけでのしあがったブレーメンの不死原家に吐き気がして、俺だけ道を外れてみた、というわけ。
「あ、柏木さん。」
「えっ…え?!不死原君っ?!」
目の前の背筋の通った華奢な背中に声をかけると、彼女が驚いた様子で俺を見た。
「村瀬先生が言語文化論のレポート早く提出しろって。」
「あー、…うん、そういえば、忘れてた。ありがとう…。」
あからさまに視線を反らす柏木さん。
首元に襟のある清楚を装った、ふわっと裾の広がるワンピースが早くこの場から去りたいと揺れている。
俺だって早く帰りたい。
でもこの女が俺の前からはすぐに退散できない理由があるのを、俺は知っている。