リライト・ザ・ブルー
弁護士になって数年、私のもとにはある依頼が舞い込んだ。それは、SNSでの名誉毀損に基づく損害賠償請求だった。
現代では、数年前から発信者情報開示請求という事件が流行っている。そう言うと分からない人もいるかもしれないけれど、“SNSで他人を中傷した人を突き止めるもの”と言えば分かるだろう。私が扱った事件はその亜種で、私の依頼者はいわゆる絵師で、他の絵師に名誉を毀損されたと泣いていた。
「私の大切な作品がパクられました」――相手方は画像付きでそう投稿したそうだ。もちろん事実ではなかった。しかし誰も彼もが、その投稿を信じ、私の依頼者を中傷し、炎上した。私の依頼者は、次の日の朝、鳴りやまぬ通知を見るまで炎上に気付かず、しかも確認したとき、既に相手方の投稿は削除されていた、代わりに「良心の呵責に耐えかね、削除しました。みなさん、どうぞ怒りを納めてください。私は大丈夫です」という投稿を残して――そして相手方のアカウントも消えた。
アカウントを消したから大丈夫だと、軽信したのだろう。しかし、相手方の味方が、依頼者を糾弾するために、当初の投稿をスクショして残していた。それだけではない、数々の同情のコメントは残ったままだった。
それを頼りに調査し、結果、相手方の本名は判明した――「牧落胡桃」だと。
現代の私は「牧落胡桃」宛てに、「弁護士三国英凜」として損害賠償を請求する旨の内容証明郵便を発し、その返答を待っている最中だった。
胡桃は、十四年後も、全く同じことをしてしまうのだ。高校時代にブログで私を非難したように、大人になった後はSNSで他者を中傷して。
「……私は昴夜に対して曖昧な態度を取ったし、黙って抱きしめられたのは否定しない。ごめんなさい。だから、胡桃が私を嫌いになるのは当然といえばそうだし、みんなと一緒になって悪口を言いたいのも仕方がないと思う」
「あ、そ、じゃ認めるんだ、昴夜と浮気したって!」
やっぱり浮気してたんだ、と周囲の子達が賛同した。浮気の定義から始めてほしい、というのは最初にした話なので、もう一度繰り返す気にはなれなかった。
「想像も含めて、悪口を言うこと自体をとやかく言うつもりはないの。嫌いな人がいるのは仕方がないことだから。誰かの言動がどこか鼻について、癪にさわって、イヤになる、そんなのはどちらかが悪者でなくとも起こることだと思う」
ちなみに、その依頼者は、過去にSNSで有名私大卒だと自慢話をしていた。一方で、高校教師の親を持つ胡桃は、地方の公立大学に進学したことに、コンプレックスを抱いていた。
「でも、それを不特定多数の前でするのは間違ってる。特に、ネットなんてすぐに火がついて騒ぎになるんだから、なおさら。今回は私だからいいけれど、これが知らない相手だったら? 全く知らない他人に一斉に攻撃されるとどれだけ怖いことか、想像できるでしょう?」
死にたくなった、とその依頼者は言った。私はただ好きで絵を描いていただけなのに、仕事の傍ら、見てくれる人の反応を楽しみにしていた趣味だったのに、もう手が震えて絵が描けなくなった、と。
「現代はまだ、そんなに大きな騒ぎにはならない。でも、匿名だったら何をしてもバレないなんて甘い時代は終わるの。むしろ、ネットにはあらゆる証拠が残る――デジタルタトゥーって言葉ができてるくらい。あなたの将来のためにも、こういうことは二度としないほうがいい」
これをいまの胡桃に話して、未来の胡桃に通じるかは分からない。それでも、十数年後の胡桃がこの話を思い出す可能性はある。
胡桃も、私と同じように、自分のしたことを後悔するだろうか。今朝、この噂を聞いて以来、ずっとそんなことを考えていた。