リライト・ザ・ブルー

 シャワシャワ、また、名前の知らないセミが鳴き始めていた。歩き始めると途端に暑くて、やっぱり車で送ってもらえばよかったかも、と後悔した。ここからお祖母ちゃんの家は近いけれど、駅が遠い。帰りは汗びっしょりになってしまうに違いない。

 そうして、昔とあまり変わらない景色を眺めながらお祖母ちゃんの家が()()()場所に着く。

 十年前に取り壊されたそこは、何もない空き地だった。申し訳程度の夏の風に吹かれ、伸び放題の雑草が揺れている。お祖母ちゃんが死んだ後、その家は土地も含めてお父さんが相続した。しかし固定資産税がかかって困るという理由で家は取り壊し、土地は宅地から畑にしたそうだ。だからこの雑草の中にはニンニクの芽でも混ざっているだろう。

 ジジジジとアブラゼミの鳴き声を聞きながら、目を閉じる。

 私の頭は、鮮明にお祖母ちゃんの家を思い出す。どんな玄関だったか、どんな木が植えてあったか、どこに何の部屋があったか。中学と高校の六年間住んでいた家なのだから当然といえば当然だった。

 私が聞かれると困る質問のひとつは「出身地はどこですか?」だ。生まれてから中学生に上がるまでは東京だったし、大学も東京だし、実家はずっと東京にあったけれど、中学と高校の六年間はここ――一色市(いっしきし)に住んでいたから。

 中学生のとき、私はお祖母ちゃんと一緒に暮らすことになった。原因は、私が“グレーゾーン”にあることを危惧したお母さんが環境療養を提案したからだった。

 もちろんそんな療養は無意味だし、なんなら私のグレーゾーンはそう騒ぎ立てるほどのものではなかった。ただ、お母さんにとって、小学生の私が「共感性が低すぎる」「他人への配慮があまりに欠けている」なんて言われた挙句、IQテストで()()()()()結果を出してしまったことは由々しき事態だった。

 だから、あの頃の私は、自分のおかしさを気に病んでいた。


 ぱちりと目を開く。

 ここで、跡形もなく消えたお祖母ちゃんの家が(よみがえ)っているなんて、そんなSFドラマは転がっていない。

 肌を焼くような陽光の下を歩きながら、当時よく使っていたバスに乗った。タクシーを使わなかったのは、見当たらなかったからではなく、郷愁にかられたからだ。

 効きの良すぎる冷房に当たり、駅に着く頃にはすっかり汗は引いていた。そのまま海辺まで出ると、海が見える前から(いそ)のかおりが漂ってくる。アブラゼミの鳴き声を聞きながら歩いてしばらく、やっと現れた海をのんびりと眺めた。肌にまとわりつくような潮風は少しうっとうしくて、でも懐かしい。

 最後に遊びにきてから、十四年が経っていた。それでも、海は記憶と何も変わっていない。透き通るような鮮やかな青と、光を反射する明るい白のコントラスト。見るだけで暑さを忘れるほど美しい景色だ。

 少し離れたところから、話し声が聞こえ始めた。顔を向けると、制服姿の男の子が三人、アイスを食べながら歩いてくるところだった。 


「な、知ってる? ここ、十年くらい前に殺人事件があったんだぜ」

「マジ?」

 半袖シャツにただの黒いズボンだから、一見どこの制服か分からなかった。でも通りすぎるとき、そのカバンを見て分かった――(はい)(ざくら)高校、母校の制服だった。


「ここってか、向こうのほうだろ? 倉庫があったっていう」

「ま、同じじゃん同じ」

「え、んじゃ殺人事件があったのってマジなの?」

「マジだよ、高校生がバットで殴り殺されたんだよ。うちの高校に伝説の不良がいてさ」


 その子達は、私のことなど気にも留めずに通り過ぎていく。でも、まだ声は聞こえる。


「その先輩がさ、クソ野郎って有名だった不良をぶっ殺したんだよ」

「え、違うくね? そう言われてたけど、実は殺してなかったって話だよ」


 あと数秒その返事が遅ければ、私が話に割って入ってしまっていただろう。


「あれ、そうだっけ」

「そうそう、俺、兄貴に聞いたもん。そんで兄貴は先輩に聞いたらしいんだけどさ」

「めっちゃ又聞きじゃん」

「でも本当なんだって。人情派っていうか、弱きを助けるみたいな感じの格好いい不良だったんだよ。そんで伝説だぜ、マジ憧れる」


 そのまま、その子達は歩いて行ってしまった。

 伝説、か。海にもう一度視線を戻して、溜息を吐き出した。
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