千年前の恋を忘れずにいたら、高貴な御曹司の最愛になりました。
 黒漆に美しい螺鈿細工が施されたふたを開けた彼は、中にある小筆を手に取った。硯に残った墨汁に穂先を浸し、隣に置いてある半紙に、おもむろに筆をのせる。さらさらと穂先が紙の上を滑った。

「その筆跡()は……」

 あの夢の中で見たものとまったく一緒だ。まぶたの裏に焼きつくほど眺めていたのだから間違えるはずがない。
 彼が半紙に書きつけていくものを、食い入るように見つめる。彼が小筆を硯箱に戻した小さな音で、どうにか息を吸った。

「しの……めの……」

 口に出して読もうとするのに、唇が震えて声が続かない。視界が涙で見る見るふさがれていく。

『明け方の別れがつらく、あふれる涙が海になって溺れてしまいそうだよ。けれど波間に見える澪標(みおつくし)を頼りにして、全身全霊をかけてなんとしてでもあなたに会いに行こう』

 それはまさに、記憶の中の私が、涙で濡らさないよう胸に抱えていた紙に書かれた一首だった。

 胸の中が熱くなって、喉から嗚咽がせり上がってくる。それをぐっと飲み込もうとしたとき、彼が愛おしげに目を細めた。

「約束通り、会いに来たよ、美緒」
「……っ」

 広い胸に飛び込むようにして抱きつくと、即座背中に腕が回り、ぎゅうっと強く抱きしめられる。

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