悪役令嬢は悪役侯爵さまの手をとるか

第3話

「結構です」
「ほら、王子がこっちを気にしている。なんて悪い男だろうね。もうキミに用はないってのに」

 マリウスの姿を探そうと振り返ったとたん、腰と腕を掴まれた。
ラズバンさまは私の背に回ると、後ろから抱きかかえるようにしてどこかへ連れていこうとしている。
彼はすぐ近くにいた見知らぬ男性に声をかけた。

「あぁ、確かキミの名はアンドレと言ったね。アドリアナさまのご気分がすぐれないようなのだ。私はこれから彼女を壁際のソファで休ませるから、悪いが何か飲み物を持って来てくれないか」
「あ……、はい。喜んで!」

 突然声をかけられた男性は、驚き戸惑いつつもマリン家のラズバンさまににっこりと微笑まれ、言われた用件を即座に行動に移す。
彼に逆らえるような人間なんて、ここにいる? 
その優しげな黒い目に反して、私を捕まえる手は力強い。
彼は強引に私を連れ去ると、ソファに座らせた。

「随分乱暴なことをなさいますのね」
「こうでもしないと、キミはすぐいなくなってしまうじゃないか。次に会ってもくれないだろ?」
「自覚はあるようで、安心しました」

 扇を広げ、顔を背ける。
逆らえない無力な自分が悔しくて、目尻に涙が滲む。
彼はため息をついた。

「あぁ、こういうことには慣れていないんだ。どうすればいい?」
「慣れてないとは? ラズバンさまが、そんな風にはとても思えません」
「それは誤解だ。ただ笑ってのらりくらりと誤魔化しているだけの連中とは違うだろ」
「何がどう違いますの?」
「こんなことなら、彼らからよく学んでおけばよかった」

 社交界の場で、ラズバンさまの姿を見かけることはよくあっても、会話を交わしたことはほとんどない。
この人はいつも会場の隅にいて、ただ冷静に参加者を見渡していた。
もちろん周囲に女性の姿は絶えることもなく、彼の言葉通り女の扱いに慣れてないだなんてことはありえない。
彼は生まれついての精悍な顔立ちを両手で覆い隠すと、私の隣でぼそぼそと話し始めた。

「俺は、その……。正直、マリウス王子に対しては、何とも思っていない。いや、仕えるべき王族の一人だ。俺はこのまま波風立てず、平穏に接していればいいと……。あぁ、違う。そんなことじゃないんだ。待って。どうしたらいい?」

 彼の独り言のような問いかけに、私は聞いているフリをしておけばいいのか、本当に聞かなくていいのかが分からない。

「そうだ、アドリアナ。キミは愛だの恋などというものを、信じない人だったね。バカな話をするところだった。今のは全て忘れてくれ」

 彼は大きく頭を左右に振ったかと思うと、不意に背筋を伸ばしふんぞり返るようにして足を組んだ。
両腕をソファの背に悠々と伸ばし、くつろいでいるようにも見える。

「で、王子のことはもう諦めるのか? 王家としても、軍部の機嫌を取るなら、キミと懇意にしておいた方が得策だと思うが?」
「王子は打算や戦略で婚約者を選ぶような方ではないですわ」
「王族の結婚なんて、どれもそんなもんじゃないか。まぁ、我々にも当てはまることだが? だとすれば、キミと俺がってことも、十分にありえる」

 ニヤリと浮かべた冷静な笑み。
そんな挑発に、簡単に乗ったりなんかしない。

「今の私に、想いを寄せる方などおりません」
「はは。じゃあやっぱり、キミはストレートにマリウスにフラれたってわけだ。王子にとって、なんの魅力もなかった? ならなぜ、王子はキミを今夜ダンスに誘ったんだ。婚約者であるモニカ嬢の目の前で。随分深刻な話をしていたようだけど、何をしゃべっていた」
「特にお聞かせするような内容はございません。つまらない話です」

 そう。本当にくだらない話。
くだらない上につまらなくて、面白くもない。
ラズバンさまの手が私の顎を掴むと、それを持ち上げた。

「それとも、この俺がキミに近づいたことで、代々宰相を勤めるマリン家が軍部と親しくなることを警戒したか?」
「お戯れを。どうかお許しください」
「キミはこんなにもお可愛らしい顔をしているのに、もったいない」

 私たちの座るソファの前に、グラスを持った初老の女性が現れた。
ベントー公爵夫人だ。
マリウスの父である現国王の、伯母さまにあたる人。
ややぽっちゃりとした体型とグレーのずっしりとしたドレスのおかげで貫禄は十分。

「ラズバン。お久しぶりね」
「これはこれは公爵夫人」

 彼はサッと立ち上がる。
さすがのラズバンさまも、ベントー夫人を前に失礼は出来ない。
私も慌てて立ち上がろうとしたところで、夫人は「あなたはそのままで」と持って来たグラスをサイドテーブルに置いた。

「ラズバンから飲み物を取ってくるようにと言付けられた方がいらしたようで。代わりに私が持ってきてさしあげましたの」

 確かに夫人の後ろには、バツの悪そうにさっきの男性がおどおどと立っている。

「ラズバンの先ほどのダンスを見て、私も久しぶりに踊りたくなってしまったの。お相手を頼んでよろしいかしら?」
「もちろんですとも」

 夫人は私ではなく、ラズバンさまにお小言を言いに来たんだ。
確かに今日、私たちは目立ち過ぎている。

「では、少しの間お借りしますね。アドリアナさま」

 彼を連れ出してくれたのは有り難い。
ようやく自由になれた。
すぐに会場から消えるのもタイミングが悪いから、彼らのダンスが始まったと同時に退散しよう。
幸い、飲み物を言付かったひょろりとした男性も「ではこれで」と、すぐにいなくなった。
ここが最大のチャンスだ。
ラズバンさまのリードでベントー公爵夫人が腕を構えると音楽が始まる。
もう相手をしなくていい。
広間から抜けだそうとした私の前に、立ち塞がっていたのはモニカだった。
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