幼なじみは狐の子。2
図書室には恋達以外に生徒が居らず、広い教室はがらんとしていた。
窓からカーテン越しに柔らかい日差しが入ってくる。
「三千回言った。やっとけって」
椅子を引いて座りながら、宗介が言った。
「まったくなんでそんな点数取るんだか。いつも勉強しないのが悪いの。」
宗介の向かい側に座った恋は、鞄からノートを出すと、机に向かった。
追試範囲の漢字ドリルを出して、問題を読んでいく。
「宗介さ」
「無駄口聞かない。何。」
「最近どういう事して過ごしてる?」
「何にも。勉強してるよ、いつも。集中しな。」
「はああ」
「ため息つかない。まったく。数学お前の間違えた所チェックしてるから。さっさと備える、追試に。」
恋はしばらく練習問題を解いていたが、ふいに思いついて、ドリルに落書きを始めた。
狐の絵。
細い輪郭に目を描き鼻を描き、耳は尖らせて仕上げる。
周りを丸で囲んだ所で、宗介が声を掛けた。
「何やってんの?」
宗介はわざと充分に恋と目を合わせて、ニコ、と笑ってから、恋の頭をゴツン!と拳で打った。
「痛っ」
「ばかたれ。馬鹿だから絵なんか描いて。そんなんじゃいつまで経っても出来る様になんかならないだろ。」
それからまた笑顔で言った。
「もう一回描いてみな?。痛いゲンコツ食いたかったらだけど。やってみな。」
恋は、しょげて漢字ドリルをしまった。
恋は今度はと数学の問題集を出した。
恋は、数学が嫌いで、どんな問題も頭の質が良い人達にしか解けない気がしていた。
数学の問題集も数分見てやはり諦めを感じたので、恋はまた、問題集の隅に今度は狸の絵を描き始めた。
丸い輪郭に丸い目と口、耳も丸だ。
恋は宗介が立ち上がってこちらに来たのに気付かなかった。
目の前に立った宗介は恋の胸ぐらを掴むと顔を寄せて凄んだ。
「殴られたいの?。誰のために僕が時間使ってると思ってるんだよ。お前は。」
「ご、ごめ……」
「次やったらビンタ。」
恋が宗介を見上げると宗介はしかめっ面で続けた。
「跡付くビンタ思い切り。ったく。油断も隙もないんだから。」
宗介が席に戻ると、時同じくして䄭風が図書室に入って来るところだった。
「新田さん」
䄭風が声をかけた。
「駒井に聞いたらここに居るかも知れないって言われたから。何してるの?」
「デッサン」
恋は言った直後に食ったげんこの跡を撫でながら続けた。
「嘘。追試の予習。どこ出るかよく分かんないけど。」
「なんで上野まで一緒に?」
䄭風が壁に片手をついて聞いた。
「当たり前だろ。恋の勉強は僕が見る。」
「そんな。新田さん、どうして僕を誘ってくれないの?」
䄭風は机に回り込むと、恋の隣に座った。
宗介は教材を使って宅習をしていたが、䄭風は家庭教師を雇っていた。
二人ともこの学年の成績トップで、数学では宗介が、英語では䄭風がリードしていた。
「新田さん、どこが分からないの?」
椅子に座った䄭風が優しく聞いた。
「うーん、……とか。」
「それなら。見てあげる。コツ教えてあげるよ。僕が詳しい所で嬉しい。」
「……樋山、普通の顔して居座んないでくんない?。」
宗介が言った。
「ああうざ。どうして樋山が勉強会へ来るんだよ。駒井に言おう、邪魔させんなって。こういうのは恋人とするのが普通なんだから、樋山は帰れよ。」
「嫌だね。準彼とでも、何だって好きに呼べば良いけど、上野が居なきゃ僕だってほぼ彼だ。僕だって成績上位者だから新田さんに余裕で教えてあげられるし。上野が帰ればいいだろ」
䄭風は宗介を無視して恋の教材を覗き込む。
「ああ、こういうのが苦手なんだね。例文作ってあげるよ。丸暗記して単語を差し替えれば良い。簡単だよ。」
䄭風が言った。
「樋山、さっさと帰れったら。邪魔なんだよ。」
「帰らねーよ。新田さんに苦手なとこ教えてあげるんだ。幸い今日は何もないし。僕が上野の言う事を聞くと思ったら大間違いだ。」
「迷惑なんだよ。人の彼女に付きまとうな。これは僕達カップルの勉強会だぞ。」
「新田さん、ここはこの構文を当てはめて、単語はちゃんと覚えて。」
宗介を無視してキビキビと䄭風が指示する。
「スペリング気を付けてね。新田さんは感覚で書かない方が良いよ。間違うから。」
「単語はどうやって覚えれば良いの?」
「書いて覚えるしかないでしょう。面倒くさがっちゃ駄目だよ。ちゃんとね。次はこれ。」
宗介の目には、仲睦まじく英語の文法を学ぶ恋と䄭風が見えていた。
隣に座った䄭風の金髪と恋の茶色い髪が触れ、日差しに当たって透けて輝いたのを、宗介は何か象徴を見る様な気持ちで見た。
宗介ハア、と忌々しげに短いため息をついた。
「恋、数学、お前公式覚えてないだろ。」
宗介は仕方なく、鞄からメガネケースを取り出しながら言った。
「それから言うけど、初歩の応用が解けないのは練習してない証拠。まったく。だから出来が悪いの」
「英語も出来てない。はっきり言ってこれじゃあまた追試だと思う。新田さん、数学からやる?英語の続きやる?」
䄭風が聞いた。
恋はここで、初めて宗介と䄭風の顔をまともに見た。
「どっちでも良いけど、間に合うようにね。」
䄭風が言った。
「樋山の言う通り。テストに間に合わせなよ。樋山、英語も僕が教えるから、お前は早く帰れよ。」
「嫌だ。数学も僕は得意だから、僕が教える。お前が新田さんを置いて帰れよ。」
宗介はカチャ、とメガネを掛けて、3人は勉強を始めた。
しばらく経って、恋は宗介と䄭風に隠れて、さっき描いた狐の絵を見直していた。
狐の毛並みを指でなぞっていた所で、気付いた宗介が恋を睨んだ。
「こら。」
「新田さん、絵描いてちゃ出来るようにならないよ。」
䄭風がノートから顔を上げて言った。
「出来なくても好きって、宗介が言った。」
恋は、時々、何にも取り柄のない自分が不安だった。
狐に変身する特殊な自分は、宗介にとって多分迷惑な存在なのではないか。
いつもそう思っているので、恋には宗介の言葉が嬉しかった。
ぽそり、と呟くように言った恋の声の、最後の方は宗介にはよく聞こえなかった。
「何?。なんて言った?。それで良い訳ないだろ。さっさと練習に戻る。」
「一休みでしょう?。しても良いよ。頑張ったね。」
䄭風が言うと宗介が聞こえるように舌打ちをした。
ガラガラと戸を開けて他の生徒が教室に入って来る。
恋は、参考書を見ながら、それからしばらく大人しく勉強していた。