『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
一人で露天風呂と言うのもちょっとつまらないかも、とお湯に浸かりながら景色を眺める。たまちゃんはまだお風呂が苦手だと言っていたから無理に誘ったりはしない。
ここのお湯もやっぱり私のいた現世とは違う。
体の疲労をきれいさっぱり取り去ってくれると知ったのは肉体と魂が分かれてしまいそうになった時と今、本来なら慣れない事をして筋肉痛にでもなりそうな状況でもお風呂から出て暫くすればなんともゆるゆると眠気に誘われるような、体が柔らかくなったような感覚になるからだった。
「あ、すず子さま」
脱衣所に上がるとどうやら私がお風呂から上がって来るのを待っていたらしいたまちゃんがいて「国芳さまがお呼びに。お支度がととのい次第でよいそうです」と櫛やら何やらを手にして意気込んでいる。
ここ数日、一人でお風呂に入っていた私。もうたまちゃんの手を借りなくても自分の事は自分で出来ていたし……と思えばなんだかやっぱりたまちゃんの視線が気になる。
「この櫛でとかすと毛並がよくなるんですよ」
手ぬぐいで良く拭いて、たまちゃんが扇で仰いでくれたり神域に生えている杏の木から作られた櫛で梳かしてくれたり、と明らかに国芳さんと私の仲の進展を期待している。
そう言えば私の手荷物、ショルダーバッグとかどうしたんだっけ。国芳さんにさらわれた時に持っていた筈。あの中にはリップとフェイスパウダー、お財布とスマートフォンが……。
貴重品の存在を今になって思い出すなんて私、もしかしてこちらの世界に染まっている?
ああ、また心が揺れ出す。
「すず子さま、すず子さま……どこかお体が」
心配してくれるたまちゃんに「大丈夫」と答えて美しい刺繍の羽織りものを肩に掛けて貰う。国芳さんがそうしているように、まるでもう……私たちは番のように。
たまちゃんに付き添われて国芳さんの寝所に足を踏み入れる。
ふわ、と香るのは国芳さんの匂い。彼も湯上りなのだと分かる匂い。たまちゃんはまた明日の朝にお伺いします、と言って下がってしまった。
さり、さり、と長い羽織りものを引きながら几帳に囲まれた国芳さんの寝台に顔を出せば「来たか」ともう勝手に一人でお酒を舐めていた人と視線が交わって、私の方からそれを逸らす。
「失礼します」
正座をすることにも慣れたし、私を気遣って足を崩しても良いと言う国芳さんの言葉にも慣れて。
「すず子……ここに」
それがどんな意味を持っているのか、私はもう知っている。
布団に上がり、胡坐をかいている国芳さんの少し前で膝をついて緩く足を崩せば腕の中に抱き込まれる。
そのまま姿勢も崩れてしなだれかかる私を横抱きに、袷がよれた胸元に顔をうずめる国芳さんの耳が頬に少し掠めてくすぐったい。耳もぴくり、と跳ね動く。
「ん……っ」
ざり、と舌が当てられる。
「んん……」
匂いを吸われ、舐められる。
それはとても丹念に、ざらつく舌が何度も私の皮膚の薄い喉元を舐めるものだからひりひりしてしまう、と国芳さんの胸を押せば彼も少し息が上がっているのが分かった。
「神に供えられた神酒よりもお前の匂いに酔わされるとはな……」
猫が撫でられて喜ぶところ――顎の下を撫でられると私もつい、うっとりとしてしまう。
悪酔いする前にもうやめておく、と言って私を寝かそうとするしっかりとした男性の手を掴んで首を少し横に振れば凛々しい目元が少し見開かれる。
「このまま、あなたのお嫁さんにしてください」
今日の私は、なんとなく体が熱かった。
熱っぽいような、でも寒気とかは今もない。
神社の拝殿で国芳さんの事をふと考えていたあたりからだろうか……それはお風呂に入っても解消されず、たまちゃんに髪を拭いて貰っている間もずっと、体は熱くなるばかりだった。
国芳さんの指先を掴んでぎゅ、と握る。