『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 私は仰向けにさせられたまま国芳さんに首を、喉元を差し出していた。押し入る彼を受け入れたせいでどうしても仰け反ってしまう背中と腰を抱かれて、胸元の匂いを吸われ続けている。

 私も国芳さんから発せられる何とも言えない引き寄せられるような匂いにくらくらして、とろけてしまっていた。

「ああもう、お前は」

 すまない、と謝った国芳さんが私の肩を噛んだ。
 食い込む犬歯が本当に私の肩に喰らいついて、離さない。これが猫の本能だと分かっていても、痛いものは痛い。

「離してッ……くによ、し、さん!!」

 こうなる事は分かっていたのに、いざそれを体験してしまった私はついに憚る事を、歯を食い縛る事が出来ずに悲鳴を上げてしまった。
 噛み千切られるかと思った皮膚と獣じみた国芳さんの呻り声を最後に――お腹は重だるいし、肩はじくじくと痛い。

「今日は現世に行かなくていい。このままゆっくりしていてくれ……お前の代わりになれるような猫を派遣する」

 朝、目が覚めた私。
 隣で胡坐をかいていた国芳さんが素肌のまま眠ってしまったらしい私の乱れた髪を指先で梳いて横に流してくれていた。

「身が、もたないです……」
「すまなかった」
「本当に、噛むんですね」
「あー……お前は猫の習性を知っているようだったから、つい」

 毛先を弄り出す指先を掴む。

「怖かったか」
「少しだけ」

 でも、気を使ってくれているのは分かっていたから。
 それにあのスキン、本当に国芳さんは自分で買って来たのだろうか。
 耳をしまって、服を着て、ドラッグストアとかコンビニに?

「……俺は、お前との子は生せないようだ。やはりお前の人間の肉体と俺たち猫の持つ魂の形は違う。神にも聞いた」
「え、そんな……神様に聞いちゃったんですか」
「当たり前だろう。神使が人の子を娶るなど前例がない」

 私の中での神様はあの栗色の野ねずみ。つぶらな瞳で私に葡萄をくださった神様になんてことを……でもそれくらい、国芳さんは私の事を思ってくれている。

「なあすず子、お前は人の子だ。まだ……子を生せる年齢だと聞いている。お前を噛んで、夜を明かしておいて言える立場じゃないが」

 左右にへたる三角の耳。

「嫌なら言ってくれ。現世に帰りたいならきちんと帰す。俺はそれで構わな……」

 言い切らせる前に私はぎちぎちと国芳さんの指に爪を立てる。

「いい匂いがするからって私をさらったのは誰ですか」

 責任、取って下さい。

 そう言おうとした時だった。
 引き戸の向こうから「玉乃井でございます」と私を迎えに来てくれたたまちゃんの声がする。

 私は今、全裸だ。

 それに、ある程度は清めてくれたとは思うけれど国芳さんの匂いが私の体に染みついている、筈。
 当の国芳さんはもうしっかりと寝間着に羽織りものを肩に掛けていた。

「玉、少し待て」

 起き上がれるか、と国芳さんが心配してくれる。
 私も大丈夫、と体を起こそうと肘に力を入れた筈だった。

「あ、う」

 べしょり、と布団に沈む体。

「あー……すまない」
「嘘でしょ……」

 足腰がまるで立たない私に掛布団を肩まで掛け直してくれる国芳さん。
 引き戸の向こうでは何やら私と国芳さんの事態を察知したたまちゃんの隠しきれない喜びのような、溢れんばかりの期待のような気配が遠慮なく入って来る。

「玉に清めと着替えの用意を頼んでも良いか」
「……お願いします」

 頷いた国芳さんが寝台から立つと几帳を抜けて廊下で待っているたまちゃんに「湯の入った桶と手ぬぐい……すず子の装束一式を」と頼んでいる。途端に、普段は足音を立てないたまちゃんの軽快な足音が几帳の向こうからしてしまう。恥ずかしいなあ、と布団の中で思っていれば国芳さんも寝台に戻って来て膝をついた。

「無理をさせてすまなかった」
「もう、出会った時の威勢はどちらに?」

 国芳さんの頬に手を伸ばす。
 屈んでくれたその通った鼻筋に擦り合うよう、私も顔を寄せて親愛を示せば国芳さんも同じようにすりすりと鼻先を合わせてくれた。

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