『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
次に気が付いた時には私は板の間の上に寝かされていた。
もしかしてあの神社の敷地内で貧血でも起こしたかな、と背中に鈍い痛みを感じながらもふかふかの座布団を枕にしていたらしい私は体を起こして、座布団を包んでいる布の意匠に少し緊張を解く。
「肉球の刺繍……?」
かわいい、と思ったのも束の間だった。
「大事ないか」
「すみません、私もしかして倒れてしまっ……」
男性の声に反応して、謝罪の言葉を言いきる前に私は目の前に立っている人――ではない。どう見たって“絶対に人じゃない人”の姿に言葉を失ってしまった。そうだ、ここは社務所の中じゃない。
まるでさっき参拝した神社の拝殿の中みたいに広い空間が広がっていた。
「あ、え……え」
「何だ、突然言葉を忘れたか?」
さり、さり、と布を引く音。
その男性は白い着物に黒に近いような濃い紫の袴姿で……羽織りは女性が纏う色打掛のような豪華で煌びやかな染めや織り、刺繍の入った丈の長い物を袖を通さずに肩に掛けていた。
夢でも見ているのか。
それとも何かあって私、死んじゃった、とか?
私の頭の中はぐるぐると渦を巻いて、近づいて来るその“人ではない”男性から逃げ出そうにもここがどこかも分からず、足腰は虚しくも立たなかった。
「ああ、この匂いだ」
目の前までやって来た人が膝をついて、それで。
怖くなって思わず顔をそむけてしまった。
すり、すり、とその人は私の胸元に顔を寄せて……吸っている。
心地よさそうな吐息をこぼして私の匂いを、吸っている。
そのまま遠慮なく私の肩に手を掛けて押し倒すように匂いを吸っている人の頭についている二つの尖った――まるで猫の耳のような薄い皮膚と産毛のように細かな毛を持った三角がぺたん、と横になった。
それは場合にもよるけど猫が気持ちいい時に見せてくれる様子と一緒で。
肩を掴まれ完全に押し倒されてしまった為に逃げられず、声を上げることもできずに絶対に人ではない男性に匂いを吸われている訳のわからない状況に混乱する。
「はな、して……」
「まあ待て、もう少し」
派手な羽織りものと、私より体の大きい人に潰される。
「邪魔だな」
私の着ていたカットソーの裾がスカートのウエストから引き抜かれて、たくし上げられそうになる。そんな、まさか、と引きつる喉から声が出せない。
「う……っ」
怖い。
どうして私はこんな目に。
「心臓が張り裂けそうだぞ」
そうさせているのはあなたじゃない、と言えない恐怖。
下着だけの私の胸がついに晒されそうになった時だった。
私を押し倒して襲っている人に対して「何をされているのですか国芳様!!」と大きな声で、どすどすと私の背中に響くほどの足音を立ててやって来た――やっぱり人ではない、白い着物に淡い紫色の袴姿で膝くらいまでの丈の黒い羽織りものをまとった男性が私の側に立つ。
頭には黒い耳がついていて、怒気と一緒にぴくぴくと忙しなく動いている。
「煩い。これは俺の嫁だ」
「人の子の雌をかどわかして来たと思えば……神の御前でなんと言う不敬」
「神は許していたぞ。そんなに気に入ったのなら番になればいい、と」
「神……」
黒い羽織りの人は私の、もう少しで胸を晒されそうになっていた状況を見て溜め息を吐く。
「国芳様、人の子には人の子の作法があります。あなたがご存じないとは思えませんが……まあいきなり“噛みつかなかっただけ”良しと致しましょうか」
裾をしまいなさい、と言われて自分でずりずりとカットソーの裾を下ろす。それでも派手な羽織りものの、私を押し倒した人はそのまま私の足元で胡坐をかいてしまって、私は足を開いた状態のとても恥ずかしい体勢のままになる。ロングスカートで良かった。
「嫁に茶を出してくれ、話がしたい」
「……承知致しました。ですがその前に、あなたの番となるならばそこから退いて差し上げたらどうです。股を開いたままずっと怯えていますよ」
「ま、」
股、って。
いや、そう、股に違いはないんだけど。
いやいやもっとその前に、嫁って……何の話が始まっているのか、訳が分からない。不服そうにも退いてくれた人から私もどうにか体を起こして二人を見る。
「話をしようか、犬飼すず子よ」